ロストゲーム

得たことは当たり前になる。
それがどんなに以前は想像していないことでも、
それはかならず当たり前になる。
そして、失われるときその価値がようやくわかる。

思考実験。

私にとって日本国民であることは当たり前になっている。
ブログで首相の批判をしても逮捕されないし、
海外に自由に行けるし、ネットをやり放題だ。

でも、どうだろうか。
明日から独裁国家の人民にされるとしたら。
急に日本国籍であることの価値がわかってくる。
でも、仮想する前は「日本国籍は当たり前」で、
ありがたみもなにもなかった。

たとえば、私には奥さんがいて子供がいる。
これは当たり前になっている。
でも、ときおりふと失う可能性を考えてゾッとする。
そして、唯一確実なのは「必ず失う」ということだ。

私が先に死ぬか、家族が先に死ぬか、どんなシチュエーションに
なるかわからないが、必ず離散する。
これは悲観論ではなくて、事実だ。
100%おこることは楽観とか悲観を超えて、ただ事実だ

「得るものは失う」

得たものに満たされたあたりまえの毎日。
失われて、ようやく価値に気づく。
人は自分が得ている恵みに慣れるものだから、
積極的に感謝したい。
幸福は自分から積極的に見つけて、
感謝するところにある。

得ると失う。

人生を考えると、
この人生で得るものは確実に失うのだとしたら、
なにかを確実に得ることなどありはしない。
いつまでたっても仮住まいだ。
確実に人生から退場することは決まっている。

世の中は、獲得することがとてもいいことの
ように言われているけど、はたしてそうだろうか。

得れば得るほど、失うこともどんどん増える。
得た喜びと失う悲しみは釣り合わない。
悲しみの方が常に大きい。

じゃあ、失わないために、なにも得ない人生を生きれば解決なのか?
と思うけど、それも苦しい。
人は比較してしまう生き物だから、得ていない自分が惨めになる。

結局のところ得ても、得なくても、
人生というゲームの設定は「思い通りにならない」
「苦しいもの」という調整をされているので、
ほとんどだれも永続的に幸福にならない。
必ず悲しみに打ち当たるというゲームなのだ。

さあ、このゲームをどう攻略するか、というのが
ヨガや仏教や哲学が生まれた理由だ。
端的にいうと、得るとか失うとか言っている「私」を
変えるための道だ。

奥が深く難易度が超絶に高いけれど、
人生というゲームをクリアするにはこの
方法しかないんじゃなかろうか、と思う。

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鉄拳さんの動画。
人生の悲哀がストレートに伝わってくる。
お父さんは時計を止めたかった。
失いたくなかった。
でも、いったいどんな生き方があっただろうか?

わかりにくいインドの教えが、ショーペン先生の本でわかりやすく学べる。
ショーペン先生が若い時に書いた主著は、ちょっと手がでないけど
この本はわかりやすい。
さっき、また再読したけど、やっぱりショーペン先生、きれきれ。
もしもこの本がブログに書かれていたら、炎上必至。
めちゃくちゃ賢い人の独断と偏見が書かれた本だ。

幸福について―人生論 (新潮文庫)
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Category: エッセンシャルヨガ, ヨガ的かんがえ

- 2015年4月3日

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