ディデジュリドゥの効果









瞑想によかろと思ってはじめたディデジュリドゥ。
はじめて2日目にして効果を実感している。
ディデジュリドゥで動画を検索するとさまざまなでクニックを駆使して
演奏しているものが多いが、初心者の私はとりあえず音がでればいいと
安定して音を出すことを意識している。

ここでは音と書いたが、ディデジュリドゥの場合、音ではなく「振動」といった
ほうがいいくらい、体がこまかく微動する。
唇周り、顎、へたしたら頭蓋骨に倍音が入り振動する。

私にはプラーナヤーマの経験がある。
息を長く吐くので、効果はほぼ同じかとやる前は考えていたが、
想像以上の効果に驚いている。

何回も何回も吹いて、吹いて、吹くと、
終わったあとに、呼吸が自然と止まる瞑想状態が
かなりの確率でやってくる。

これは私の場合、瞑想やプラーナヤーマを組み合わせてやっても、
稀にしか発生しない状態で、
「呼吸をしたくない」「呼吸しなくても大丈夫」という
感覚で、体は微動だにせずに不動になる。

ディデジュリドゥを使うと瞑想の階梯でいえば、ピーティ(喜び)の前段階まで、
一気に到達できる。
革新的なライフハックツールでないか!

さらに吹くと、体にエネルギーが満たされる。

私は泊りがけの仕事をしていて、仕事あけの日は睡眠不足で
一日中ぼーっとしているのだけれど、
ディデジュリドゥを吹くと、脳の霧が晴れて、睡眠不足の状態にも
かかわらず意識がクリアになる。

ディデジュリドゥで呼吸が振動に変換され、
それが体に響き、さまざまなチャクラやらを刺激して
エネルギーが満たされているような感覚だ。

調べるとアボリジニの方々は、精霊との交信(瞑想)や
治療に使っていたそうだけれど、
これは精霊信仰とかがない現代人が使っても、同様の効果が
得られる。

そういえば、先生は脳溢血になって半身麻痺を
このディデジュリドゥで治したと言っていたけれど、
もしかすると、もしかするかもしれない。

そして、じつは私はすでにゲーム中毒気味で、休みの日は5時間とか6時間とか
ゲームをしまくっていたのだけど、その中毒状態が霧が晴れるようになくなった。

いや、ゲームはいまでもしているのだけれど、「やらないといられない」という
感覚が薄らいだ。

といか、このブログを書いている事自体、以前はなかったことである。
「ブログを書く時間があるならゲームしたい」なんて思っていた。

しかし、ディデジュリドゥを吹いてから、
「電子空間で、殺したり殺されたりするゲームなんて忙しないことをしないで、
まったりと過ごしたい」なんて思えるようになった。

以前は、デジタルゲームの力に押されて、かろうじて瞑想、かろうじて読書、
ブログは放置の私に、強力なアナログ武器がやってきて、
ゲームを制御できるようになった。

もはやゲームを制御することはあきらめて、ゲーマーとして生きることに
決めていた私の目を覚ましてくれたのはディデジュリドゥだ。

ディデジュリドゥは心を一気に落ち着ける効果がある。

問題が発生するとすれば、
私の場合、タバコのように定期的に吹かないと落ち着かないことだ。
ゲーム依存のかわりに、ディデジュリドゥ依存になってしまったが、
これはゲームやタバコのように害がないから、
正しい依存といえると思う。

1日泊まりの仕事をしているから、仕事場にもっていけないのが
ちょっとつらいけれど、ディデジュリドゥの代わりに深呼吸をすれば
代用できるから、なんとか大丈夫なのだ。

先生にはまだ1回しか習っていないが、
瞑想を深めるという目的でいえば、もう80%の効果は
得られているのではないか、と驚いている。
たった2,3日でこの効果、これを深めていくとどこまで行くのだろう?

初日、先生はディデジュリドゥを吹いていたら、「虚空」に入れると
言っていたけれど、この楽器のパワーならそれもありえる。

45歳にして、また新しい道に出会えるとは
人生はいつも思いがけない。










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- 2022年6月6日

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