ディジュリドゥでスプラトゥーン中毒が消えた








スプラトゥーン2という中毒性の高い対人ゲームがある。
2021年の6月に娘が買って、親たる私がドハマリして、
嫁もハマって、家族四人でみんなハマって、
家にニンテンドースイッチが4台とゲーム用ディスプレイが
3台あるというゲームセンター、ならぬスプラトゥーンセンターに
してしまうほどの中毒性の高い名作である。

ほぼ365日、スプラトゥーン三昧。
45歳でもウデマエS、調子のいい時はS+に手が届くほどの
上達した私。
スプラトゥーンプレイヤーのトップ10%に入るくらいの実力になった。

それでもスプラトゥーンがしたい。
もっとうまくなりたい。
上位1%に君臨するウデマエXになりたいと
日々思っていた。
そんな私がここ3日間、一回もスプラトゥーンをしていない。

たった3日?と思うだろうけれど、
これは以前の私からしたら異常事態。
以前の私なら、スプラトゥーンができないというのは、
口から血を流しての我慢になっていたけれど、

今は「なんとなく気乗りしないだよね、なんかスプラトゥーンって
忙しなくてね。それよりも、まったりと過ごしたいよ」と
我慢することなく、スプラトゥーンを断っている。

これは完全にディジュリドゥの影響。

まさか、ディジュリドゥをしたらスプラトゥーンをしたくなくなる、なんて
効果はまったく期待していなかった。

ディジュリドゥで心が変化したのか、700時間もプレイしたスプラトゥーンが
もはや遠い場所にあるおぼろげなものになってしまった。

なんか熱心にやっていた部活動が急になくなってしまったような寂しい気分はあるけれど、
またスプラトゥーンしたいですか?と言われれば、別にいいかなぁ、と答える。

とはいえゲームはしている。

結局ゲームしてるんかい!というツッコミが聞こえるが、
まるでスプラトゥーンとは真逆のゲームにハマっている。

デス・ストランディングという、荒廃した世界を配達で繋ぐという
配達ゲームである。

歩いて、歩いて、歩いて、荷物を運び、そしてまた荷物を運ぶ。

スプラトゥーンをしていた頃に、セールをしていたから買ったけれど、
あまりの時間のノンビリさにしびれを切らして積んでいたゲームである。

今はそのゲームの面白さ、滋味がしみじみとわかる。
まじでデス・ストランディング最高です。

休日は、ディジュリドゥをして、瞑想して、運動して、
デス・ストランディングをして過ごしている。
端的にいって最高だ。

ディジュリドゥをしたら、心の速度が落ちて
のんびりと楽しみことができるようになった。

はじめて10日くらいで、いまだに基本的に音しか出せないけれど、
心にはバッチリ効いている。

飽き性の私はまさに、
「そしていつか、すべてを裏切り、すべてを棄てるだろう」という
人生を歩んでいて、(嫁や家族は決してそうしない!)
いつかディジュリドゥもやめる日がくるだろうけれど、
その日まで一生懸命練習しようと思う。

今、一生懸命にやっていることは嘘じゃない。



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- 2022年6月12日

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