筋肉トレーニング、筋力トレーニングの原理を瞑想に利用する

 

 

 

 

筋トレとひとくくりで語るけれど、
筋肉をつけるトレーニングと筋力をつけるトレーニングは違う。

筋肉をつけるトレーニングは筋肉内のエネルギーを枯渇させるべく
ひたすら高回数、動作を繰り返す。
たとえば20回×3セット。
そうすると、休養後、筋肉はさらなるエネルギーを貯蔵すべく
大きく成長する。

筋力トレーニングは、5回ほどしか繰り返せない重量を
疲労を押させて、高セットおこなう。
5回×10セット。
これはパワーを発揮する神経のトレーニングで、
疲労がない新鮮な状態で、何度もパワーを行使することで、
神経系が開発されて、人はよりパワフルになる。

この原理は、瞑想修行にもあてはまる。

曹洞宗などの禅宗は、一回の座禅は40分ほどである。
40分の座禅をして、経行という歩く禅をおこなってリセットする。
1回2時間とか3時間とか座ったりしない。

しかし、同じ瞑想系仏教でもテーラワーダ仏教では、1回に3時間ほど座れるように
なって一人前みたいな世界がある。

2つのやり方は、まるで筋肉トレーニングと筋力トレーニングのようで面白い。

フレッシュな集中力の状態で、1日何度も繰り返す曹洞宗。
長い時間、持久力をもって瞑想するテーラワーダ。

曹洞宗のほうは、サマタ系(集中)の香りがする。
禅の語源は、アシュターンガヨーガのディアーナ(集中瞑想)からきている。
そして、曹洞宗はヨーガスートラで書かれた修行形態にとても近い。
これは禅宗の人は否定するだろうけど、サマディ(集中三昧)を養うべく
デザインされているように見える。

一方のテーラワーダは、集中力に重きを置かず、サティ(気づき)に
重点を置いているかのような修行体系だ。
現にアーチャンチャーの著作を読むと、尋常でないサマディ(集中力)は重視せずに、
なにがあってもひたすらにサティ(気づき)を入れていくことを語っている。

止と観、サマタとヴィパッサナー

私の悩みは、瞑想をするとすぐに集中力が切れてしまうことだった。

40分あたりで切れる。
が、しかし、人間としてそれは自然なのだ。

集中力の修行として、長時間連続の瞑想をするのは逆効果だ。
それは筋力を得ようとして、筋肉のトレーニングをするのに似ている。

集中力が切れたら、休息してまた新鮮な状態で、集中力の修行をする。

集中力が切れた先、そこからは<気づき>のトレーニングだ。
集中力が切れた状態に気づく、退屈していることに気づく、
心が散漫になっているのに気づく。
100%完璧なサティ(気づき)の修行になる。

凡人の私ができる修行。
高望みせずに、少しでも地道に繰り返していく。






 


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- 2022年5月15日

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