仕事が無いとき宮大工はどうする?

宮大工西岡常一。

法隆寺の宮大工として、代々、技を磨いてきた一族。
その末裔として、法隆寺の大改修を手がけた
「法隆寺の鬼」こと西岡常一棟梁。

腕は超一流。
だけれども仕事が無いときがあった。
腕が超一流の人が何故、建築の仕事がなかったのか?
それは一族に伝わる
「神社仏閣以外の聖なる建築物以外は
作らないという」掟をひたすら守っていたから。

お寺を立てるなんて大事業はそうそうない。

最後の弟子の小川さんが弟子入りにいった時、
西岡棟梁は、あまりにも仕事が無いので、
お寺の鍋の蓋を修繕していたという。

弟子の小川さんの言葉によれば、それは
「口伝を受け継ぎ、田畑をもって仕事がないときは百姓をやって、
民家の仕事はやらんというのが法隆寺大工の心意気」

食べるためには、いざとなったら百姓をする。
生きる糧をへて、その技術を汚さない。
そういうプロフェッショナルの在り方。

私のイメージとしては、なんとしてでも
大工の仕事で食べるために民家でもなんでも
手がけて、大工以外は一切しない、なんてのが職人かと
思っていたのでこれには目から鱗。

私はヨガティチャーだけど、カリスマではないので、
それだけではぜんぜん食べていけない。

子供がいるのでなおさら。
今はダブルワーカーだ。
肉体労働をしている。

自分が中途半端に思える時もある。
しかし、ダブルワークにもメリットがある。
それは食べるためにクラスをしなくてもよくなったこと。
自分が納得できる形で、純粋にクラスができている。

もしも、生活のためにヨガのクラスをしないといけなくなったら?

毎月、生活費を払うために追われるようになる。
なんとしてもお金を稼がないといけない。
それが一番の目的に成らざる得ない。
悪いパターンとしては、ヨガをビジネスとしてやりはじめることだ。

ヨガをビジネスにするには、生徒さんを自分に依存させないといけない。
一人で自立して練習できる人が増えて、
家で練習されたら商売上がったりなのだ。

過剰な指導やアジャストをして、練習を一人で出来ないようにする。

しかし、ダブルワーカーなら、そういうクラスはする必要がない。
生徒さんを自立して練習できる人にする。
家で練習して、クラスに来なくなっても生活が困窮することはない。
私のクラスのスタンスはビジネスというよりは、ナリワイ(生業)に近い。

(ナイワイとは、
<個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのでなく、
やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身に付く仕事>のこと)

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小さいけど、心から満足できる仕事を何個かして、
生活していくのが私の理想。
そんな中から、法隆寺の棟梁(宮大工+百姓)のような
偉大な仕事が生まれたらなお素晴しい。
ちなみにヨガティーチャーで生活するにも
いいパターンがある。
それはその先生がほんとうに素晴しい人で、
とくに宣伝も怪しげな生徒さん増加術をつかわなくても、
TTCを連発しなくても、ちゃんと生徒さんが来てくれて、
生活できる分はお金がもらえるというパターン。
それに関しては、私はまだまだ修行中なのだ。

私がヨガをするのは「ヨガのクラスをしてお金をもらうため」ではない。
クラスはあくまでも副産物で、
本当の目的は深くヨガをして、軽々と生きることにある。

 

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Category: ヨガ的かんがえ, 生活を変える方法, 読書

- 2015年2月19日

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