プログルーステースのベッド

ギリシャ神話。
「プログルーステースのベッド」
プロクルーステースは、旅人を泊めるとき
その旅人がベットよりも身長が高ければその分
足をノコギリで切り、身長が足りなければ
無理やり引き延ばす拷問にかけて殺した。

なにかの基準に、無理やりに自分を当てはめていないだろうか?
そして、自分自身を痛めつけていないだろうか。

私たちの、人間社会には<プロクルーステースのベット的>な
ものが溢れている。

まともな仕事をしていないといけない。
結婚しなければいけない。
若くあり続けれなければいけない。
経済成長を続けれなければいけない。
「でなければならない」リストのエトセトラエトセトラ。

ちなみに、ヨガのインストラクターでも<プロクルーステースのベット>の
ような人がいる。
<難解なポーズ>を無理やりなアジャストをし関節を破壊して、
生徒さんにポーズをとらせる。

それはベットのサイズがありき、ポーズの完成系がありき、の発想。
人の関節の可動域はそれぞれ違う。
だから人によっては絶対に出来ないポーズがある。
基準が人よりも上にくると、ヨガですら、人を傷つける凶器になる。
参考記事「そのポーズ一生できませんヨガの解剖学」

だれかの期待が<プロクルーステースのベット的>であるかもしれない。
人間社会全体が<プロクルーステースのベット的>であるかもしれない。
「私には合わないようだ」と蹴飛ばそう。
そこから逃れることができるのなら、逃れよう。

日本では何万人も自殺する人がいる。
死なないまでも、絶望して生きている人も多いんだろう。
「なんの成功基準も持たず、毎日ただ生きているだけでいい」と

いうダメ人間じゃ本当にだめなのか?
我々は「性能を期待された工業製品」ではない。
動物はただ生きている。
工業製品であることを否定して、ただ生きる。
人がもしそれを認めなくても、本当の母である地球は
生き物がただ生きるために生きることを認める。

思うんだけど、世の中で一番エコロジーで地球に優しい人は、

なんの仕事もしていないホームレスだ。
<人間が一生懸命働いていない>という状況は地球にとっては
喜ばしい限りだ。
人間が「生産?」すればするほど地球の環境が壊れて貧しくなる。
さまざまな命(種)が減っていく。
だから、人間なんてたいしたもんじゃない。
そんな人間やめていいけど、自分の手で動物(命)を止めてはいけない。

わけのわからない規格を抱えて、自分の心を伸ばしたり削ったりする
ことをやめれば、心は安らいで生命は元気になる。
瞑想をすると元気になるロジックはこれである。

 

 

 

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Category: ヨガ的かんがえ, 瞑想

- 2015年2月18日

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