火を消すためのヨガ

火から立ち上る煙は、
ゆらゆらと形をかえて、とらえどころがなく
手であおいでも、火が消えないことには煙はなくならない。

悩みはまるで煙みたいだ。
あおいでもあおいでも、形を変えるだけで一向に
なくならない。
あるときは恐ろしく巨大な黒雲のようになって
私達を包んだりする。
煙を仰ぐと、いっとき消えるけど、
火が消えないうちはまだ煙にまかれる。

煙を消すには火を消すしかない。
ここで言う
「煙」というのは「概念(考え)」のたとえだ。

形がなく、千変万化して、私達に人生を見えなくさせる。

瞑想では、意識を煙ではなく、火(感覚)にむける。
それは今ここにある身体感覚だ。

怒っているとき、そんなときは
「何故私は怒っているのか、怒らせた人が
いかに非道なのか」という煙をあおいだりせずに、
実際に、体の中で燃え盛るリアルな「火(感覚)」に
意識をむける。

煙を相手に戦っても、あるときは煙は消えたように
感じても、火元が燃え盛っているから意味が少ない。
感覚に意識をむけるとこと、それ自体にパワーがある。
怒りのエネルギーは少しづつ消えていき、
やがて、いままで私を取り巻いていた仰々しい煙が自然に消える。

煙を相手にすると、延々と不毛な戦いになる。
だけれども、今ここにある体の感覚となって現れている
エネルギーに意識を向けると、火は消えていく。

これは私には何故だか説明ができない。
だけど<気づき>そのものにパワーがあることは確かだ。

 


Category: 瞑想

- 2016年2月26日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *