友達がいないという大きな可能性

友達がいない。
嫁や子供がいなかったら休日を
一緒にすごせる人はゼロだ。

「おれ、友達いないんだけど出来るかな?」と
嫁に相談すると「無理!」と断言された。
プライベートな私は我が強くて、人と強調できない変人なのだ。
そんな私と唯一付き合えるのは嫁くらいで、
嫁が友達と言えばそういう言い方もできる。

「友達がいない」それは問題だ!という人もいるだろう。
けれど、裏を返せば「友達がいない」ということは大きな可能性でもある。

嫁が言う。
友達付き合いのある夫だったら、休日も家にいないから、
あなたに友達がいなくてよかった。
たしかに友達がいないと人間関係が少ないので家族と過ごす時間が長くなる。
でも、友達がいないメリットはそれだけじゃない。

人付き合いの時間が無いということは、
自分一人の膨大な時間があるということだ。
その時間を使って高い功夫(ゴンフー)を養うことができる。
功夫とは「手間暇をかけて長い時間をかけて作るもの」という意味で、
元は武術の言葉だ。

高い功夫(ゴンフー)を持つ武術の達人の佐川幸義先生は、
午前中は肉体鍛錬の時間にあてていた。

1万時間の瞑想をした瞑想家の脳は、常人とは異なるレベルまで
鍛えられているという。
これも高い功夫(ゴンフー)だ。

英語の達人になる、読書で深い知識を得る、などなど
一人でないと出来ないことが沢山ある。

時間がある、ということは自己変容の可能性が高いということなのだ。
高い功夫(ゴンフー)は、一人での練習時間が必要なのだ。

中学時代の友達と休日になると遊んでいる人は、
濃い人間関係がある。本当に困った時に助けてくれるのはそういう友人だろう。
でも、自己変容の可能性は低い。
世の中には「全部やる」ことはできない。

時間もとられるだろうし、変化を彼らは望まない。
いつものメンバー、いつもの自分。いつもの仲間はいつものあなたを要求する。
飲み仲間が健康を考えてあなたに禁酒をすすめるだろうか?

私は友人がいない、だから自由だ。
もしも濃い友人関係があったら、気軽にヴィーガン(動物性のものを食べない)
に挑戦したりできない。
同調圧力があるので、きっと「やめとけよ」という枷をかけられる。
孤独と自由はイコールだ。

稀に「善友」と呼べるパートナー関係もある。
同じ目標に向って邁進する友だ。
私も善友が欲しい。
でも、ヴィーガン、瞑想、自重トレーニング、かなりのマイノリティで
ある私は、同じ地域で同志に出会う可能性がとても少ない。
ときどき、ネットで同じような人を見るときもあるけれど、
同じ時間を同じ場所で共有しない人を友とは呼べない。

もしかしたらいつか善友(同じ目的にむかって進む、相乗効果のある関係)が
見つかるかもしれない。
でも、それを待たずに一人の時間を高い功夫を積むための時間にしようと思う。


Category: 生活を変える方法

- 2018年2月13日

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