否定されるとムカつくのに気づいたら

自分の意見を言って否定されると腹が立つ。
それを読み解くと、「その意見は違う」が「あんたは違う」
に変換されるから腹が立つのだ。

意見と自分を同一化するのが原因。
「見ず知らずの人」が強く押している「どっちでもいい意見」が否定されても、
なんにも感じないのは、その「人」とも「意見」とも同一化していないから。
「自分」の「大切な意見」が否定されないことには
怒ることはできない。

よく「ヨガは「繋ぐ」という意味」という説明をする人がいるけれど、
これは違う。
「意見との同一化が怒りを引き起こす」ことを見てもわかるように、
むしろヨガとは「切り離す」だ。
あらゆる「すべてを切り離す」ことが「真の自由」だ、という教えに近い。
ヨーガスートラにもこうある。

「避けなければならない(苦の)原因とは、見る者と見られるものの結合である」(2,17)
「この結合の原因は、無知である」(2,24)
「無知がなくなることで、見る者と見られるものとの混合は止む。
この状態は独在、見られるもの
からの独立と呼ばれる」(2,25)

独在(カイヴァリア)というとハードル高いけど、
自分の意見を「私」と切り離して、意見を意見のままにしておくと、
あとあといろいろなことがわかったときに素直になれる。
相手の意見と「相手」を切り離すと、その人の存在自体を嫌いにならずにすむ。

あらゆる意見にしがみつかずに生きることも自由のあらわれ。

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Category: ヨガ的かんがえ

- 2015年2月28日

Comments

  1. 実はアシュタンガをはじめたばかりの頃、こちらのHPに掲載されていたアーサナ一覧を見て一生懸命勉強していたのですが、2年ほどぶりに拝見したところさまざまな変化があったようで色んな記事を読ませていただきました。
    自分自身ヨガを10年ほど続けていますが常にどこかもやもやとしたものがありました。それは最近のメディアで見るヨガのイメージであったり、逆さのポーズをやることへの意味だったり・・(頚椎症なので常に痛みと恐怖がありました)
    つい先日落第覚悟で論文を提出したのですが、その内容とこのブログの記事が非常に似ていて近い感覚だったので驚くと同時にとても嬉しく思いました。
    他の記事(ご結婚された敬意)などもとても私たち夫婦に似ていて(笑)
    ついついコメントをしてしまいました。

    長文失礼致しました。
    これからもブログ楽しみしています。

    • akieさんこんにちわ。
      ヨガもいろいろありすぎて、もやもやしてしまいますよね。
      私もけっこう迷って、結果的にとてもシンプルな形に落ち着いてます。
      なにごともシンプルが一番ですよね

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