分人すごい!

アメトーーークの読書芸人で、若林さんが薦めていた本。
「私とは何か「個人」から「分人」へ」を読んだ。
小説家の平野啓一郎さんが書いたものだけど、
まるで仏教の真理を解説したかのような本でびっくりした。

テーマとなる「分人」という考え方が凄い。
これは何かというと、
人は「固定したたった一人の個人」ではなく、
さまざまな環境や人によって、そのつど発生する「分人」
の集まりが人である、という考え方だ。
これは仏教の「永遠不滅の私などいない(非我)」にも繋がる。

たとえば本当の私とはなんだろう?
こうやってブログを書いている私があなたに会うとする。
そうなると「ブログとイメージが違う」ときっとあなたは言うだろう。
現実世界を生きる私は、ブログの文章みたいなしゃべり方はしないし、
結構引っ込み思案で、大きな声で主張したりしない。

従来のペルソナ(仮面)の考え方だと、「ブログを書いている私」が本当の私で、
「初対面の人と会った時の私」は仮面をかぶった偽の姿になる。
でもそれは、「個人」という分けられない1つのパーソナリティしか
ないという考え方で、
「本当の私」があるという前提があるから、
「どれが本当のあなたなのか?」という疑問がでるのだ。

分人という考え方で説明すると、
「ブログを書いている私」もちゃんとした私ならば、
初対面のあなたと出会った時に「あなたに出会ったということで、
生まれる私」もちゃんとした私なのだ。
人は職場で、友人の間で、親との関係で、
それぞれ異なる「分人」を生み出していて、それはそれぞれが
その環境での真実だ。

「どれが本当のあなたか?」と言われれば、
それは「その時々に応じて発生した、それぞれの私なので、
どれも本当の私と言える」という
ことになる。

さまざまな分人の集合体が「私」なのだ。
そこにはコアとなる「本当の私」はいない。
仏教のスマナサーラ長老は、たしかそれを「魚の群れ」に
喩えていた。
1つの魚の群れはまるで「一塊の生物」のように動くけれど、
もちろんそれは「
一塊の生物」ではなくて、一匹一匹の
魚の集まりだ。

 

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「人が成長する」ということを考えると、
分人は「私という群れ」の中で、それぞれの分人の影響を受け合っている。

たとえば、私はヨガを始めてから「丸くなった」と弟に言われた。
刺々しい雰囲気がなくなったと。
それは新たに生まれた「ヨガをする分人」が、
大きく育ち、他の「人を批判する分人」や
「つまらないことにイライラする分人」がそのぶん弱まった
と説明することもできる。

ちなみに「ヨガをする分人」「瞑想する分人」は、
通常の分人と構成要素が違う特殊な分人だと私は考える。
普通の分人が「潜在意識の反応と考え方」で出来ているとすれば、
特殊分人の「ヨガをする人」は「潜在意識の反応と気づき」で
できていて通常の分人よりも、より根源に近い分人だ。

「坐禅をしてもなんにもならん」という言葉があるけれど、
それは、世間的によく使う分人にとって坐禅はなんにもならないことを
意味する。
坐禅をしても世渡り上手にはならないし、なにかしらの技能が
身につくわけでも、お金持ちになるわけでもない。
ただ、「坐禅をする分人」つまり命と真理に一番近い分人が
深まる。

たくさんヨガや瞑想関係の本を読んでも、
「ヨガを学ぶ分人」は強化されるだけで、より根源に近い
「ヨガをする分人」はまったく深まらない。
よく根源に近い分人が、ヨガには重要なのだ。

ブッダは「つきあう人を選びなさい、あなたはその人のようになる」
という意味のことを言った。
それは悪人と付き合うと、相互作用で「悪人と付き合う分人」が生まれ、
付き合えば付き合うほどその分人の比率が高くなって、
ほかの分人が圧迫されるからと説明できる。

私は持っていないけど、ヨガネーム?を持っている人がいる。
それは「ヨガをしている分人」に名前をつけて、大きく育てるという
意図があると今ではわかる。
仏教でも戒律をうけて、修行を開始すると「戒名」という
仏教ネームを授かるが、理由は同じ。
修行する分人を際立たせ、意識をそそぐという意図がある。

ブッダの言った「自らを島とし、他を拠り所とせず」の言葉を
分人の文脈で紐解くと、

「自ら」とは、「仏教を修行する分人」のことだと今ではわかる。
たとえば「だらだらと遊び呆ける分人」を拠り所にしたら、
遊び呆けるだけで、まったく激流の島にならないだろうし。

かなり影響を受けた本だった。
これは小説の「ドーン」で採用した「分人」という考えを
新書化したものだ。
ううん、「ドーン」の方も読みたくなってきたぞ、、、

 

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Category: ヨガ的かんがえ, 読書

- 2015年7月6日

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