登るほどに失われる意味

休日に金沢の湯涌に行ってきた。
山間の湯涌には「湯楽」という源泉掛け流しの温泉があり、
飲めるクオリティのお湯がそのまま浴場に流れている。
露天風呂で感じる山の雰囲気は最高だ。

普段は肉体労働者の私は、休日にはあまり体を動かしたくない。
かといって、あまりにも体を動かさないと逆に疲労が蓄積してしまう。
アクティブレストといって積極的に体を動かす休養法をとるために、
湯楽の近くの山道を歩くことにした。

車が通れるほど広い山道。
休日だというのに、車は一台も通らない。

歩けば歩くほど、人気がなくて山になっていく。

ふと<湯涌の県道で熊が出没した>というニュースを思い出し、
不安になる。
熊、いるかもしれない。

耳元で虫の羽音が聞こえてビクつく。

山。
コンクリートの道があるから私は
サンダルで歩ける。
でも、左右に密集している植物の

ゾーンには裸足では一歩も入っていけない危険さがある。
私はここでは異物だ。

原始人のように裸で放り出されたら、
すぐさま全身切り傷だらけになる。

毛皮で守られている熊やイノシシなら、お構い無く山をズンズン進める
だろうけど、、、、、、、
自然にふれあうという言葉に違和感を感じる。
厳しく拒絶されている感覚。

裸の体を考えると私は平地でしか生きられない。
山では生まれたままの姿でサバイバルすることなど
できない。

普段は関係ないことを散漫に考えている脳も、
山にはいると、現状把握に必死だ。
熊がいる確率がゼロでないから、
物音に敏感になり、まわりに何があるのかちゃんと見る。

強制的なマインドフルネス状態。

たった2キロほど歩いたところで、
15分まえまで考えていたことが急に無意味になっていることに
気づく。

さっきまで
「仕事を変えて、収入が増えたから貯金できるなぁ、給料いくら出る
かなぁ、えへへへ」
と取らぬ狸の
皮算用をしていた。

下界ではしっかり意味があってリアルな力であった
「貯金」が、この山中では急速に無意味に感じられる。

熊がでるかも、蜂に刺されるかも、なんか木から虫が降ってくるんですけど、
サンダルがすれて足が痛くなってきた、、、などなどのリアルな不安の
前で意味をもつのは「強い心と体」だけだった。

世界のルールが違う。
お金も人脈も、社会的な属性も、なにもかもが自然界では無意味だ。
自然の中に入ることは最高のリフレッシュになる。
それは自然に癒やされるとかではなく、
普段の自分がまったく無意味になるからだ。

普段の同じことの繰り返しの毎日で、
空虚になりがちな生きている実感は、
自然の危険の中で実感できる。
アウトドアで体を動かす、っていろんな意味で
いい刺激だ。

参考リンク
湯楽
390円という安い入浴料だけど、温泉の質は最高。
露天風呂最高。
サウナも完備している。
水風呂が普通よりも冷たいのが私好み。

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この程度の山道だったのですが、実に刺激的でした。


Category: 生活を変える方法

- 2015年9月23日

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