「もしかしてそれサマディ?」ヴィッパサナー瞑想2010京都4日目

4日目。
今日はとうとうヴィパッサナー瞑想に入る日。
お昼すぎまで集中瞑想をして、集中力を最大限までに高めて
その集中力を使って体を観ていく。

4日目くらいになると、だんだん座るのが馴れてきた。
もう痛くてしょうがない、それしか頭にない、、、ということは
無くなった。

この日は、呼吸瞑想中にだんだん体の感覚が消えていく
体験をする。
痛みや体のコントロールが手から離れて、
呼吸だけがただ存在している。
心地いい。
この状態ならどれだけでも座っていられるんじゃないか?!
というくらいの集中力。

あれ?これってサマディ?

と思うくらいすーーーーーーーーっと集中力が伸びていく。
呼吸の生滅がどんどんどんどんわずかになっていき、
浅く弱く、死ぬ間際のように微弱になっていく。
心の動きはほとんどない。

わずかな心の動きで、この状態を壊さないようにそっと思う
「こんな精神状態があるのか?!」

その集中への没入は、10分ほどで去った。
足の痛み、体の感覚がだんだん戻ってきて、集中のレベルが落ちて終了。

素に戻ってみると、あれはもしかしたらサマディなのか?
サマディはヨーガの場合は4種類あって熟考、考察のサマディは
意外と日常生活でもありそうなレベルのサマディなのです。
とくに熟考のサマディは頭がそのことしか考えていない状態
くらいの非常に低いハードルなので、だれしも体験があるくらいのもの。

あの集中状態の「楽」な感じは、、、もしかして
歓喜のサマディのかるーいやつなのかな?などと考える。

また次の回に座ると、あの集中状態がやってきそうな傾向が
心の中に起こった!
そうすると、「おっ!きたきたきた!」と心が騒いで消える。
起こりそう、心が騒ぐ、、という繰り返しで、
この「これってサマディ状態」はこの日はこれっきり。

集中瞑想からヴィッパサナー瞑想に切り替えると、
その日以降現れなくなった。

それにしても目が開く体験でした。
1日10時間の瞑想をして3日目の体験でこれなのです。
ヨーガスートラに書かれた古代の修行者さんは、
こういう生活を10年とか20年とかする。
スートラに書かれてある一見荒唐無稽の超能力の数々も
ありえる話だと思う。

瞑想状態が意識を変容するという体験を1すると、
もしかしたら100の体験もあるかもなぁと思える。

テレビや映画、情報の海に汚染された脳を持つ私でさえ、
座っていると日常を離れた集中力の世界を垣間みたのですから、
昔の情報が少ない自然の中で暮らした修行者さんの心の集中力の強さたるや、いまからは想像できないものがあるのだろうなぁ、と
古代に夢を馳せた一日でした。

ちなみに、このサマディの世界。
超能力を開発する、とか、現実世界から離れた超越的は体験をする
という目的なら追求してもいいのですが、心の浄化には直接結びつかない。
お釈迦さまは、サマディの最後の最後まで体験しても、現実の苦悩が何一つ変わりないことに気がついて、別の修行に切り替えたというお話がある。

サマディをおこす気持ち良いサマタ瞑想について、知識だけは本を読んで人一倍あるのでよかったのですが、
何も知らない状態で、あの経験だけしていたら、サマディの追求していたかもしれません。

人を浄化するのはヴィパッサナー瞑想。

でもおもしろい体験をできた1日でした。

5日目「ヘビ」

 

ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法
ウィリアム ハート 日本ヴィパッサナー協会
春秋社
売り上げランキング: 105403
おすすめ度の平均: 5.0

5 よいです。
5 実践にこそ価値がある
5 正確かつ慎重な文章に好感
5 ヴィパッサナーに関心のある人は必読
5 ヴィパッサナー瞑想のやさしい入門書

 th_japan-378134_6405日目「ヘビ」


Category: ヴィパッサナー瞑想リトリート体験記, 瞑想

- 2015年2月16日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *