考える人ときどき瞑想人

私は「考える人」だ。
こういうブログを読んでいるあなたもたぶん、
「考える人」の傾向が強いんだと思う。

いっけんすると「考えることが好き」「本を読むのが好き」
というのは、なにかいい事のように聞こえる。
「考える力がない」「本が読めない」子供がいたら
問題視されると思うけど、その逆を直さないといけないと
いう意見は聞かない。

しかし「考える人」も度がすぎれば、ブレーキの壊れた車だ。
考えが暴走して止まらない。
ヨガをする前の私は、考えの暴走に翻弄される人だった。
すこし悪いことがあると、次々と悪夢のような連想止まらない。
どこにいても、「今」を生きず、自分の思考に引きこもり状態だ。
毎日、本を読まないと気がすまない。
塩水で喉をうるおそうとするかの如く、知識を吸収し、
そしてあげくの果てに、矛盾する知識が自分の中に
乱立して、けっきょく何も信じられなくなる。

ヨガは私の「考える病」の薬になっている。
ヨガをして、私の症状は緩和されたけど、
いまだに「考える人」であることにかわりなく、
「考える人、ときどき瞑想人」という感じなので、
私の瞑想のレベルはそんなに高くない。

「わたしは文盲で考えるのが苦手なので、
南無阿弥陀仏の念仏を唱えます」という人のほうが
すいすいと瞑想が進むだろう。

世の中的に、よく考える人は一目置かれると思う。
「あの人は自分なりの考えをもっているよね」という言葉は
褒め言葉として使われる。
でも、瞑想をするとなると、考える人は不利になる。

考える人が瞑想するには、
「考えることが瞑想を妨げる」ということを
ちゃんと自分自身に理解させる必要があるし、
「考えても瞑想は進まない」という理解も必要だ。

そうすれば「考える」ことは道具として、
洗練されていく。
「考える」ことを動かすエネルギーが、
煩悩まみれだと粗悪な油で動くエンジンみたいに
煙ばかり吹いて効率が悪いけど、
煩悩が少なくなればなるほど「考える」ことは、
キレキレになってくる。

「考える」ために「考えない瞑想」をする。
という補完関係が成り立つ。
瞑想に出会ってから、考えることがとても楽しくなった。

ブログをどうして更新するの?と奥さんに聞かれた。
いろいろあるけど、一番の理由は「楽しいから」だ。
作文最高です。

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眉間に皺を寄せるような考え方はあんまりオススメできない。
さっぱりした顔で考えたい。


Category: 生活を変える方法, 瞑想

- 2015年6月26日

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