ヨガの「基礎」はポーズ(体操)じゃない

ヨガというと「柔らかい体をつくる体操」というイメージが強い。
ヨガで一番大事なことは「体操(ポーズ)」である、という感じで、
多くの時間を費やす人がいるけれど、それは違う。
じつはぜんぜん違うのだ

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じつをいう私もこれを知ったのは2014年のことだ。
ポーズ中心のヨガ
それは近代になって「西洋の体操」と混ざりあった結果生まれた
新発明なのだ。
アーサナ=体操という考えは無理くりヨガに導入された経緯がある。
ヨガの経典の「ヨーガスートラ」や「ハタヨガプラディービカ」と
はほとんど関係のないエクササイズばかりだ。
それを解き明かした「ヨガ・ボディ」という本を読んで、
いままでの呪縛のすべてが溶けていった。

 

アシュタンガヨガというバリバリ肉体系のヨガをしていた私。
辞めて数年たっても「毎日、体操しないといけないのかも」という呪縛がまだあった。
「まさかなぁ」と思いながらも罪悪感のように心の隅にあった。
それが「ヨガボディ」を読んで、
「やっぱりな、こんなに時間を使って体操ばっかり
しなくていいんだ」と楽になった。
無知が知識に破壊された。
迷信が科学に解明されたようなスッキリ感である。

 

そこで、ヨガの目的

さて、体操的なヨガの目的が「いい体」だとしたら、
古代のヨガの目的は「いい心」だ。
(簡単に言えば)

古代のヨガには8つのステップがある。

1やってはいけないこと
2やるべきこと
3姿勢
4呼吸を通じたプラーナの制御
5感覚の制御
6集中
7瞑想
8三昧

最初の「1やってはいけないこと」は、

「暴力をふるわない」
「嘘をつかない」
「浮気しない」
「盗まない」
「貪らない」

これらは生活の中で実践することだ。
「1やってはいけないこと」はヨガをしていない人でも、これらを守らないと
生活は壊れていく。
ヨガの基礎はここにある。体操ではなく。
ここが破れていると何をしても無駄になる。

姿勢を正し、呼吸を制御しながら暴力を振るう人。
いくらやっても暴力が生んだトラブルからは逃れられない。

鍛錬をしながら浮気するスポーツ選手。
その鍛錬で浮気をしているというスキャンダルは消えない。

瞑想の習慣のある詐欺師。
日常的につく嘘を
瞑想は帳消しにできない。

つまり、いくら上級なことをやっても、
なんにもならない。
そして「1,やってはいけないこと」はだれにでも理解できる
お道徳のようなあたりまえのことだけど、
実行するのが非現実的なほど難しい。

人は暴力的で嘘をつき、盗みを働き性的にだらしなく、
欲望は際限なく貪る生き物なのだ。
それは地球の現状と、人類の戦争の歴史をみれば、
やっぱりそういう生き物だということになる。

「1,やってはいけないこと」を単独で
意思の力で成し遂げようとすることは難しい。
だから瞑想がある。
そして、アーサナ(姿勢)やプラーナーヤーマは、
それを支えるものだ。

で、これは意外に多い落とし穴なんだけど、
アーサナやプラーナーヤーマさえやっていれば、
人生OKという思いこみをする人も多い。

なんの面白みもない「1,やってはいけないこと」を
守ること、念頭において生きること。
完璧にできない、だけど
「これを知らずに普通に生きているよりも
ずいぶんマシな自分だぞ」くらいにできれば瞑想も深まっていく。

これがヨガの基礎になる。

 

 

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Category: エッセンシャルヨガ, ポーズ練習の起源

- 2015年2月2日

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