難しいポーズはヨガにはいらない!(竜を料理する方法を1億円で習う)

 

荘子
<朱泙漫は竜を料理する方法を支離益について学んだ。
千金の家財を使い果たし、
三年も学んだ末に技術をものにしたが、
かんじんの竜があらわれなかったので、
せっかくの技術も実際に用いる機会がなかった>

この一文を読んだとき荘子のユーモアに笑った。
しかし、現実に起きている話だとも思った。

 

 

 

現実におきている「朱泙漫の竜」
それはヨガでアクロバティックで軟体人間のようなポーズを
追い求めるような練習だ。

体操的なヨガを始めたばかりの頃はわからなかったけど、
これはヨガを深めるうえで何の益にもならない見世物だ。
アクロバティックな難解なポーズをさして、

「これらのポーズには恐ろしい病を治す力がある」

と言っていたヨガのグルは
晩年、糖尿病で亡くなった。
自身で恐ろしい病を治す力が無いことを
証明することになってしまった。

そもそも「ヨガボディ」によると、
ポーズ中心の体操的なヨガは1900年代に生まれた
新しいヨガだ。
このヨガを生み出した中心人物であるクリシュナマチャリアは、
ヨガやインドの体操、西洋の体操などを混ぜて、
身体鍛錬のために新しいスタイルのヨガを生みだした。

難解なポーズの宝庫であるアシュタンガビンヤサヨガは、
王族のスポンサーを得るためのデモンストレーションが、
いつのまにか「5000年の伝統をもつヨガ」として、
定着したものだったりする。

必要ない見世物の要素を消していこう。
ヨガの効果は簡単なポーズからも
得られるからだ。

筋肉を適度に柔らかくし蓄積されていたストレスを抜き、
バランスを整える。
だれでも怪我なく取り組めるシンプルなポーズで充分だ。

難しいポーズは害になりえる。
ありえないくらい体を伸ばし、そらして限界ギリギリまで体に
負荷をかけるとき、強い刺激が走る。
怪我をする。
若いうちはいいかもしれないけど、歳をとったときに
後遺症がでてくるかもしれない。

刺激の強いポーズは、体の繊細さを失わせる。
濃いスパイスをかけた料理ばかり食べている人は、
野菜を煮ただけの素朴の料理の滋味がわからなくなる。
物足りなくなるのだ。
そして、もっともっとと、
難しいポーズをとろうとして怪我をする。

そして、一番の疑問はいったいなんの役にたつのか?ということだ。

ボディビルだったら、筋肉を魅せるという
目的以外にいざとなったら、車の下敷きになった人を
助けたり、護身のためにその腕力を使えるだろう。
しかし、ヨガの難しいポーズは人に魅せる以外に、
なんの役に立つんだろう?

何にも使えない。

「体が柔らかい」とヨガインストラクターになれる
かもしれない。
でも、インストラクターになれても難しいポーズの存在意義は
からっぽのままだ。

プラーナーヤーマ(呼吸をつかった気のコントロール)の準備になるという
がいるかもしれない。

ヨーガスートラでも「アサナ(姿勢)が出来てから取り組む」と
書いてある。
しかし、それは座る(アサナ)と1900年台に発達した
ポーズ(体操)を混同した誤りだ。
バランスよく座る技術はプラーナーヤーマの準備になるけれど、
体操は体をじっと静止させるのに関係ない。
アサナ(座る姿勢)とポーズ(体操)は別物である。
この間違いを伝統にした流派では、難解な体操をクリアしないと
プラーナーヤーマに取り組めない。
だから、大半の人は一生を体操をして過ごすことになる。
ありえない!

体が浄化される、という人がいるかもしれない。
しかし、体を作っているのは「食べ物」と「心」だ。
その体を極限まで曲げ伸ばしして浄化しようとするのは効率が悪い。(できるとも思えない)
工場の汚水が入った川の水を汲んで綺麗に
するようなものだ。
だったら工場の汚水が川に入るのを止めるのが早い。
腹八分目で野菜中心の食事をして、
瞑想の時間をとる方がいい。

体が鍛えられる、という人がいるかもしれない。
怪我や後遺症の可能性を考えると、リスクが高い方法だ。
もっと健全に鍛える方法は山ほどある。

ヨガの伝統である、という人がいるかもしれない。
しかし、それは近代にかけて作られたもので、
過去のヨガ経典に乗っているポーズは数少ない。
「ヨガのポーズは何万とある」という記述があるという
ことを根拠に現代の体操をヨガの伝統だとする人には、
それは「動物の数」だけあるのだといいたい。

難解なポーズをとるために時間をかけて練習するのは、
家財をついやし、時間をついやして竜の調理法を学ぶのと
かわりない。
もっと有意義なことに人生を使おう。
難しいポーズに血道をあげるなんて、
1億円を払って竜を料理する方法を習うようなものだ。

 

 


ヨガボディ<ポーズ練習の起源>
近代ヨガの成り立ちがわかる良書

 

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Category: ポーズ練習の起源

- 2015年2月8日

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