アシュタンガヨガの解体(ヨガボディ)

 genpaku_kaitaishinsyo03

 

2014年に参加したヨガのワークショップで、、
アシュタンガヨガの先生をしている人を見た。
すわっていたら私の前方にいた二人の会話が
耳に入ったのだ。

話しの内容から、一人は先生でもう一人は生徒。
聞こうとした訳じゃないけど、近くにいたから耳に入る。
「ブリッジのポーズから起き上がること」みたいな話を
しているうちにワークショップが始まった。
そして、始まって数十分後には、
会話をしていたあの二人の背中は丸まって、
偏って、じつに座るのが苦痛のようだった。
座るのに慣れていない、ということが
ハッキリと分かった。

この時「何故だろう」と思った。
アシュタンガヨガは激しい肉体の鍛錬なのに、
どうして座る力がつかないのか?
私も始めてヴィパッサナー瞑想に行ったときは、
座ることが苦痛で苦痛でしかたなかった。
そのときすでにアシュタンガヨガをバリバリやっていて、
座るが語源の「アーサナ」つまり
「ポーズ」の練習を毎日1時間以上していたにも
かかわらず、座り方がわからなかった。

しかし、その疑問はのちに「ヨガボディ」を読んで消えた。

ヨガはじつはこんなにポーズの練習をするように
なったのは、つい最近なのだ。
「ヨガボディ」はポーズ練習の起源を探るという良書で、
そこでアシュタンガビンヤサヨガの起源が、
青年を鍛える肉体鍛錬であることがわかって
すっきりした。

アシュタンガヨガでもアーサナをする。
意味が違った。
昔のヨガでいっていたアーサナとは、
ずばり「座る力」
そして、アシュタンガヨガのアーサナは
「体操」なのだ。
同じアーサナという言葉だけど、同音異義語。
意味が違う。
アーサナ(座る力)ポーズ(体操)はぜんぜん別物なのだ。

だから、アシュタンガビンヤサヨガを毎日やりこんでいる人は、
私よりも体操的な動きが上手。
毎日座っている私のほうが長く座れる。
目的が違うから比較のしようがない。

だけど、
ここを同じにしてしまうと
混乱の元だ。

たとえばヨーガスートラの
「アサーナ(座る力)ができてからプラーナーヤーマ(呼吸を使った気のコントロール)の実践に入る」
というの「アーサナ」を「体操」に置き換えて
読むと、アシュタンガヨガで言われるように

「アシュタンガヨガのセカンドシリーズ(難しい体操)が
終わるまで、プラーナーヤーマ(呼吸を使った気のコントロール)の実践はできない」

というおかしい話になってしまっている。
これを実際に守っていたら、死ぬまでプラーナーヤーマの実践に
入れない人がたくさんでる。
これはありえない!

「アーサナは「座る力」だから、ちゃんと座ってられる
ようになってからプラーナーヤーマの実践をしましょう」
としか書かれていないのに、
そこを体操に置き換えて、多くの人を迷わせている。
これは良くないのでやめるべきだ。

これを表現するなら、
いまから2000年後に「禅」という
体操が生まれたとして、
それは禅宗の道元禅師の
「正法眼蔵」にもとずくもので、
この体操をクリアしないと坐禅には入れない。
というくらいに荒唐無稽なことが今起きている。

そして、禅をもとめる練習者が、体操になんとか禅の極意を求めて、
いろいろな意味付けをして体操にハマりこみ、迷い、
そして、とうとう坐禅には行き着かない。
なぜなら、体操の延長線上に坐禅はないからだ。

これでは体操至上主義だ。
体操ができないと呼吸法もできない。
体操ができないと瞑想にも入れない。
そういうヨガの指導者もいる。
そして、それがあたかも伝統であるかのように
語っている。
しかし、それは最近作られた伝統だ。普通はこういう誤解をしていても、
問題は起きない。
ヨガをする理由のたいていは
「健康、美容」目的だ。
 その人にとって、
ヨガ体操はいい筋トレになるし、
ストレス解消にもなるから、これはこれでいい。

でも、問題は、ヨガに人生の救いを求める人。
ヨガを人生の実践哲学として生きる人。
心の向上や、トラウマからの解放、
などを真剣に求める人が延々と体操を
するハメになるなんてことは許されない。
とんでもない回り道になる。

私にとってヨガ・ボディという
読みにくいけど有益な本は、
知識が無い、無知から目覚めさせてくれた
本になった。

たぶん、この本はヨガ界から黙殺される。
だけど、ほんのささやかな人数の人たちで
いいから、この本を読んで目を覚ましてほしい。
ヨガは「同音異義語」と、著者は説明していた。
同じ言葉でも意味が違う。
肉体鍛錬と、軟体をつくる体操もヨガと呼ばれるし、
瞑想もヨガと呼ばれる。
それが混ざり合うことで悲劇が生まれる。

 

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Category: エッセンシャルヨガ, ポーズ練習の起源, 瞑想, 読書

- 2015年2月6日

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