歪曲された古典(ヨガボディ)

肉体鍛錬が重要視されるヨガをささえる言葉に、
ウパニシャッドの

「真の自己は、肉体が弱いものには見つけることが
できない」

という言葉がある。
無意識にこういう言葉を受ければ、
「肉体を鍛えることが重要だ」ということで、
肉体を鍛える体操を一生懸命することになる。
しかし、この引用は曲解されていた。

それを「ヨガボディ」を読んで知った。

この言葉の元になったのは、
肉体鍛錬の必要性を発言していたスワミヴェヴェカナンダで、
録音テープが残されている。

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ヴェヴェカナンダ
「真の自己は、肉体が弱いものには見つけることが
できない」

弟子
「しかし、先生、注釈者(シャンカラ)は「弱い」という
言葉をブラマチャルヤ、つまり自制心がないこと、と解釈して
いますが?」

ヴェヴェカナンダ
「そういう解釈もある。しかし、私は「身体的に弱いものには、
真の自己に目覚めることができない」と解釈するのだ」

というやりとり。
肉体鍛錬の必要性の裏付けに、曲解された古典。
原点のウパニシャッドを読みこんで確認する
人はほんの少数だから(私は読んだことない)、間違いは訂正されることも
なく、ひとり歩きして私に影響していた。

私は精神的に優れた人をみても、
「ああ、この人も身体を鍛えればもっといいのに」
と無意識に思っていた。
ヨガには肉体鍛錬が必要だ、というのが
あたりまえの前提だった。

たしかに肉体は無視できない要素だ。
しかし、一日1時間以上かけて体操して、
アスリートのように引き締まった
パッキパキの筋肉の身体になる必要はない。
それはやりすぎ、体にこだわりすぎだ。

瞑想を上位にすえる八支則のヨガに必要とされる肉体は
どういう肉体だろうか?
それは運動とは逆で、バランスをとってリラックスして安静状態に
入りやすい肉体だと私は考える。

 

アシュタンガヨガの解体(ヨガボディ)

ヨガボディ<ポーズ練習の起源>
近代ヨガの成り立ちがわかる良書


Category: ポーズ練習の起源, 読書

- 2015年2月6日

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