泥亀のように生きる

かなり前に勤めていた会社にKさんという50代の男性がいた。
私が入った当時、Kさんは物流の仕事をしていた。
ノルマがない仕事を楽々こなしているように見えた。
しかし、会社がリストラは始めるとKさんは
営業に回され、重いノルマが課せられた。
営業慣れしていないKさんは苦戦した。
その頃のKさんの口癖は「絶対に辞めん」だった。
成績の上がらないKさんに上役が
「Kさんだったら他の会社でも活躍出来るんじゃないか?」と
暗に退職をほのめかしている、Kさんは言っていた。
無理は続かない。
Kさんは精神を病み、薬を飲みながら働くようになった。
日に日に、顔色が悪くなり塞ぎこむようになった。
そして自殺した。

なぜ自殺を選んだのか、私は知らない。

一番よくあるパターンは「住宅ローンを返すためだ」
住宅ローンには生命保険がかかっていて、
借り主が死亡すると保険金でローンが相殺できるようになっている。
自分が死んでも家族には家が残る。

ローンの返済が滞り、仕事もなくなったら、死ぬしかないんだろうか?

日本のセーフティネットのことを調べていたら解決策が見える。
家を手放して自己破産して、生活保護を受けるのだ。
それで生きていける。
生活はダウンするだろうけど、死ななくてもいい。

だけど、それでも死ぬ人はいるだろう。
私の推測だけど、そこには「世間体」というものがある。
日本人としての意地だったり、
「私は◯◯会社の人間だ」というアイデンティティを失う
くらいなら死を選ぶという人はけっこういると思う。

しかし、こういうものは「集団幻想」だ。
人間のもつ高度な脳の中にしか存在しない夢で、
我々の肉体にとっては、なんの意味もない。
酸素と食物と安息があれば、体は生きていけるのだ。
だけど、集団幻想どおりに生きられないと「自我」は
死を選ぶ。

集団幻想は国によって強い、弱いがある。
「日本人はこうあるべき」という幻想が日本はとても強い。
日本は同じ文化を共有する日本人ばかり。
国としての一体感があるということは、そこから外れると
世間の目が怖いということだ。
お互いに監視しあう大きな村に生きているみたいで、
閉塞感が強い。

たとえばマレーシアだったらどうだろう?
マレーシアは多民族国家で、
キリスト教徒もいれば、道教、ムスリム、ヒンズー教徒もいる。
華僑系やマレー系、インド系、欧米系の人種で構成された国家には、
マレーシア人なら「こうあるべき」という確固たる共同幻想は
成り立たない。
こういう国では文化の背景や人種が違うので、
異なる生き方をする人びとにおおらかにならざる得ない。
「こうあるべき」という基準はゆるい。

どうしたら自殺しないで生きていられるのか?

自分の価値観を確立する。
もし、周囲の価値観が固定化して生きづらい国にいるのなら、
その「集団幻想」に飲みこまれず、自立するためには
自分が生きていける価値観をしっかりと持つ必要がある。
生き方を自分で選ぶのだ。
そのための身近な方法は2つ。

1つは「読書」だ。
さまざまな年代の偉大な人の価値観を知ることは、
固定観念をゆるがす。
つまり古典を読むのだ。
自分に合った古典は価値観を多様化させる。
私の場合、あんまり性格が良くないのか、
「厭世主義」と揶揄されるショーペン先生の本がジャストフィットだった。
世捨て人のバイブルのような荘子や老子もかなりハマる。
ブッダもかなり非常識なことをおっしゃっているので、
常識を破壊するカウンターとしてかなりいい。
私の場合、お勉強のかいもあって、
生活習慣から求めるところまで、かなり日本人ばなれしてきた。

逆にテレビばかり見ていると、人生の幸福は金儲けして
いい家に住んでいい車に乗って旨いもの食べて、若作りして生きる
みたいな「いい消費者」としての洗脳がかかる。
お金がなくなり、消費者できなくなるとその価値観だととても苦しい。

2つ目は「瞑想」
これは価値観そのものから離れて、客観視を得る効果がある。
どんな価値観を持っていても、
それと一体化して呑みこまれなかったら害はない。
欲望と怒りが一時的でも沈静化すると、ほんとうに大切なものが
見える。

ライフスタイルとか、いろいろあとは書くこともあると
思うけど、結局それは価値観から生まれるものであって、
根本的な価値観が変われば、ライフスタイルも変わっていく。

しかし、日本の自殺率の高さの原因はいろいろな要因が
重なり合っているので、もっと他の対策がいるとも思う。

ちなみにこの記事の「泥亀のように生きる」は
荘子のパクリです。
本文の中で引用したかったけど、できなかったので
エピソードだけ紹介。

<荘子が濮水のほとりで釣りをしていた。
そこへ楚の威王の命令を受けた二人の家老がやってきた。
「荘子さま、どうか国内のことすべてを、あなたにおまかせしたい。
宰相になってください」
荘子は釣竿を手にしたまま、ふりむきもせずにたずねた。

「話に聞けば、楚の国には神霊のやどった亀がいて、死んでからもう三千年にもなるという。
王はそれを箱に収めて、霊廟の御殿の上に大切に保管されているとか。
しかし、この亀の身になって考えれば、
かれは殺されて甲羅を留めて大切にされることを望むであろうか、
それとも生きながらえて泥の中で尾をひきずって
自由に遊びまわることを望むであろうか」
二人の家老が答えた。
「それは、やはり生きながらえて泥の中で尾をひきずって
自由に遊びまわることを望むでしょう」
荘子はいった。
「帰られるがよい。わたしも尾を泥の中にひきずりながら生きていたいのだ」>

普通に考えれば、高い地位を蹴ってしまうのは
人間としてはどうかと思うけど、
生き物としては、案外正しい道だったりする。

 

 

 

 

ショーペン先生の著書。
こういうブログを読む人なら、もしかするとジャストフィットする
かもしれない。

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Category: 生活を変える方法, 瞑想, 読書

- 2015年6月20日

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