速読VSスローリーディング

インターネット、SNS、テレビ、
さまざまなメディアに囲まれている現代は
情報に満ち溢れた時代だ。
そうなると、それを処理する能力が
必要とされる。
速読はそんな時代の申し子なんだろう。

本が貴重で数すくない時代、
その文章を早く読む技術の必要性はなく、
同じ本を繰り返し読んだり、検討したりして
学ぶスローリーディングが主だった。
二宮金次郎が薪を背負って労働しながら
読んでいたのは「大学」で、
貧しい中で出会えた貴重な本を何回も何回も
読んでいた。
「大学」は二宮金次郎の血となり肉となり、
教養となった。

一転、現代は「一ヶ月に100冊の本を読む」
とか速読、多読がその人のキャッチフレーズになる時代だ。
「何冊読んだから凄い」という価値観がある。
でも、それは金沢へ旅行に行って全力疾走で、兼六園をまわり、
ひがし茶屋街をまわり、武家屋敷を一見して帰って、
次なる土地へ脇目もふらずに行くことに似ている。
たしかに金沢には行ったことになるけれど、
なんの記憶にも残らない、ただ行っただけの旅行だ。
速やかに頭の中に入って、速やかに抜けていく。

こんな例もある。
とある映画評論家は、数多くの映画を観るために
3つのディスプレイで同時に3作の映画を観るそうだ。
たしかにそうすれば、あらすじやどんな展開になるかくらいは
わかるだろうけど、映画館で1作の映画を集中して見ている
人のうける感動や驚きとは無縁になる。
注意散漫な状態でみたものは、なんの痕跡も残さずに
消えていく。

今も昔も、王道はスローリーディングだ。
深い読書体験をするにはコレしかない。

たとえば小説。
風景の描写や、話の筋とは関係なさそうな所をさっと読み飛ばして、
ストーリーだけ追っていく速読をすると、
一応読んだということにはなる。
だけれど、書かれた文章をしっかりと読んで、脳内で映像にして
創造力を膨らませながらゆっくり読む体験には敵わない。
小説世界に入り込むことが別の世界を覗くことで、
大旅行になる。
もしも本当に没頭して、創造して読むことができるなら、
映画よりも小説のほうが確実に面白い。
映画は映像になっていて音響も万全だから、だいたいみんな
同じ体験ができる。
だけど、小説は読み手の読解力と創造力の実力次第で、
読書体験は千差万別だ。

哲学や思考法などの「考え方を伝える本」も
ゆっくりと一文一文、作者と対話するように読んで行くと
深い読書体験が開ける。
しっかりと理解が脳に根を下ろし、影響が花咲くには
時間をかけるしかない。

そんなことに気づいた。
いままで私は何百、何千と本を読んできたけれど、
その読んだ本の記憶がぜんぜんない。
無意識の領域に入っているのだ、なんて言い方も
できるだろうけど、浅い浅い読書体験しかしてこなかった。
私は自己流の速読術で本を乱読していた人間だ。

これからはスローリーディングで行く。
本を選ぶときは速読して、読むに値するかどうかを
判別したりもするけれど、読むべき本はスローに
寄り道しながら読んで行こうと思う。

そうなると人生で読める本の数が、がぜん減ってくる。
でも、その分、深い読書体験ができるのだ。

そういうことに気づかせてくれたのは、
平野啓一郎さんの「本の読み方」だ。
速読に対する治療薬のような本で、
豊かな読書体験を教えてくれた恩師のような一冊。
この記事はほぼ100%平野先生の受け売りです。

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Category: 読書

- 2016年1月17日

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