「無常のひろがり」ヴィッパサナー瞑想2010京都8日目

8日目。

「うん、この服装のチョイスは失敗だったかも」
蒸し暑さを感じる瞑想ホールで座っていると、
上着を脱ぎたい衝動にかられた。
身動きしてはいけない、でも脱ぎたい。

そんな衝動と戦っていると、
バラバラバラという音が聞こえ始めた。
雨だ!
もしかしたら涼しくなるかも。
座っていると、雨の音ははげしくなり、
空気がひんやりしだした。
最高。

瞑想中は雑念がわいていても、
体の感覚が鋭くなり、空気の湿度がかわったことも
微妙にわかってくる。

それから雷!
ゴロゴロゴロとけっこう大きな音。

それに構わずに体の感覚(ヴェーダナー)に意識を集中していると、
目から鱗の体験がありました。

錯覚のベールが落ちた瞬間。

あっ、外も中もない。
固定した私もない。

雷が鳴る、、、自分の中の体の感覚(ヴェーダナー)がその音の影響で変わる。

雨の音、体の感覚(ヴェーダナー)が変わる。

鳥の声、体の感覚(ヴェーダナー)が変わる。

隣の人の咳払い、体の感覚(ヴェーダナー)が変わる。

自分の呼吸、体の感覚(ヴェーダナー)が変わる。

自分の思考、体の感覚(ヴェーダナー)が変わる。

こんなにも千変万化している。

無常、無常、すべては変化していく。

その気づきで散歩コースを歩いてみる。
同じように散歩している人とすれ違う。
目も合わせない、話もしない。
だけど、自分の体の感覚(ヴェーダナー)は人が近づくにつれて、
変化していく。
相手との距離をつめるというだけで、
大きな変化が自分のなかにおきる。

見えていなかった。

いままで、私は「私」と「世界」という2つのものがあると
無意識に思っていました。
「私」という変化しない固定した視点があって、
変化する世界をみている。

季節の移ろいに「無常だ(変化していく)」と感じたり。
飼い犬の毛が白くなっていくのをみて、老化を感じたり。

それは観察力の欠如でした、、、、
外ばかりみて内をみていなかった。

「世界と隔離された自分」というのは存在しない。
自分というのは、風が吹いただけで、体の感覚(ヴェーダナー)が変わり、花をみただけで、鳥の声を聞いただけで、気温で、陽の光で、あらゆるものの影響を受けて変化していく。

戦場にテレビの枠を持って立っているようなものだ。
これはテレビの映像で、私は大丈夫だと、テレビの枠越しに
戦場をみて安心しているようなもの。
爆風は容赦なく吹き飛ばすのです。
自分も変化する、そして死なないと思っていたけど死ぬんだ、、
と実感。

そして、<生きるというのは関係である>
なんだなぁ、としみじみ思いました。

ほんのささいなことが影響を与える。
瞑想中は、この自分のなかに広がる影響が、
実際の微細な体の感覚でまるわかりなのです。
相手を精神的に痛めつけることは、
実際に殴ることとなんのかわりもない。
五戒の教えというのは、自分と世界の関係において、
周囲を悪化させない、、、という観点からみても
有益だと心の底から思いました。

(注 五戒「生き物を殺さない」「与えられていないものを取らない」「淫らな行為をしない」「いつわりをかたらない」「放逸の原因となり(人を)酔わせる酒・麻薬類を使用しない」)

なんだか、この瞑想コースに参加してから
一日一日賢くなっていくような気がする。
散歩コース中、何度も読んだクリシュナムルティの言葉を
反芻したりするのですが、いままで理解できなかった言葉が
なんとなくわかった気になる。

8日目は、いろいろと自分の中が変わった日でした。

 9日目「なんちゃってサマディレベル2」

ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法
ウィリアム ハート 日本ヴィパッサナー協会
春秋社
売り上げランキング: 105403
おすすめ度の平均: 5.0

5 よいです。
5 実践にこそ価値がある
5 正確かつ慎重な文章に好感
5 ヴィパッサナーに関心のある人は必読
5 ヴィパッサナー瞑想のやさしい入門書

th_turtle-564733_640 9日目「なんちゃってサマディレベル2」


Category: ヴィパッサナー瞑想リトリート体験記

- 2015年2月16日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *