魂のルール

あるトラブルがあった。
頭では「これは切り捨てたほうがいい」とわかっているの
だけど、そういう非情な判断をすると心が痛む。
私と同じ判断をした人は、有能なビジネスマンで
そうした判断を下し慣れているはずなのに、同じ心の痛みを
私に打ち明け、結局、我々は方針を転換した。
良心の「いけない」という声に従った。
そうすると、心は非常にすっきりして心の動揺も
おさまった。

私にとってこれは摩訶不思議な経験だった。
事前の脳内シュミレーションでは、数々のパターンを想定したけれど、
「許し助ける」というこのパターンはちらりとも考えもしなかった。
自分の判断が想定外だった。
摩訶不思議。

良心は魂に刻まれたルールなのだ、と今回のことで思った。
静かだけど巨大な力だ。
事前に考えた細々とした対策を却下させ、
思いもしなかった行動をおこさせる。

非情な判断を覆す前の私は「でも、これは必要なことだから」
「しかたない」とその魂の声を説き伏せようとしたけれど、
それは以前としてそこにあって消えない。
たぶん、あのままだったら一生、良心は私に正しい道を
ささやき続けただろう。
いまは、良心の声は満ち足りて沈黙している。
私はなんの咎もなく晴れ晴れとしている。

良心は消えるのだろうか。
虐殺者をとったドキュメンタリー「アクト・オブ・キリング」でも、
その良心の回避がみえた。
虐殺者たちは自分たちの殺人をなんとか正当化しようとしていた。
都合のいい理屈、正当化。
けれど、最後には自分の行為の非道さに気づいてしまう。
虐殺も頭で作り上げた理屈も、良心を殺すには至らなかった。
それはより深いところにあって、虐殺者たちに
静かに小さな声で語りかけ続ける。

いきなり仏教の話になるけれど、仏教は
「こういう生き方をすれば幸福になれると思いついて、
試したら成功しました」みたいな成り立ちではない。

「世界を動かすダンマ(力をもった不滅のルール)を発見し、
その力によって絶対的な境地に至る道をみつけました」
というもので、仏教はゴータマ・シッダルタが独自で思いついた
ものではなく創始者ではない。
まずはダンマありきで、ブッタはその発見者であり
体現者なのだ。そして仏教はダンマを体現し、ダンマに帰っていく道なのだ。

魂にはダンマの刻印があり、それが良心となって囁くのだと
今回のことでよくわかった。
自分で体験したダンマは「やさしさの力」だ。

やさしさのある判断をしようと決めたとき、体に明るいエネルギーが満ちた。
それはダンマのエネルギーが流れてきたからだ。
やさしさは宇宙のルールなのだ。
生命を生み出し、育む力の根本は「やさしさ」なのだ。
そう思った。


Category: 生活を変える方法

- 2016年4月13日

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