自分よりも大きな目標の大切さと大乗仏教

 

ケリー・マクゴニガルさんの「ストレスを力に変える教科書」
で「自分だけの目標」だけにむかって努力すると、
頭が混乱したり不安や恐れの感情が高まり、
燃え尽き症候群になりやすいという記述があった。
たとえば「自分の能力を証明するためにがんばる」とか、
「自分の利益だけのために働く」とか。
一番メリットがあるように思えるけど、
人は自分だけの目標を追い求めると、心の奥底で「無意味さ」を
感じでしまうものだ。

だから「自分よりも大きな目標」をたてることを
ケリーさんはおすすめしていた。
自分だけではなく人びとのためにもなる目標が
人に喜びを与える。

思えば昔、野球選手が「人に夢を与えるためにがんばります」
とコメントしていたことを思い出す。
そのときは「なんかキレイ事っぽいなぁ」と思って聞いていた
んだけど、実際にその野球選手は本気でそう思っていたのかも
しれない。
自分が子供のときに、プロ野球で活躍するスター選手を
キラキラした目で憧れていた記憶があるのなら、
自分がプロとして偉大なプレーをすることが人に夢を
与えることになる。
厳しいプロ野球の世界。
自分の成績だけを追い求めるというやり方もあるだろうけど、
チームに貢献するとか「自分よりも大きな目標」をたてて
モチベーションを保つこともできる。

「自分よりも大きな目標」

この視点で考えると大乗仏教の発生の理由の
1つが読み解ける。

仏教はじつはぶっちぎりに「自分だけの目標」を追求するものだ。

仏教の元祖であるブッダは、悟ったときこう思った。
「この教えを理解できる人がいるとは思えない。
教えを説いても無意味なことをする疲れだけが残るだろう」

そう考えた時に、梵天という偉大な神が嘆きながらやってきた。
「なんということだ世間が滅んでしまう。偉大なる師の心が
沈黙に傾いている」と。
「偉大なる師よ、法を説きたまえ。世間には数少ないが
すこしは見る目がある人びとがいる。
しかし、師が法を説かなかったらやがて堕ちてゆくだろう。
法を聞くことができれば悟ることもできるであろうに」
という勧請を聞いて、ブッダは教えることを決意する。
これはつまり仏教は選ばれしエリートのための教えなのだ。

そこから時代が進むにつれて大乗仏教が生まれる。

これは「大きな乗り物の仏教」で、
より社会的や人びとに関わりを深めた仏教スタイルだ。
自分だけのためではなく、他の悩める人びとも救うという
目標が加わる。
つまり「自分が修行するのは大勢の人びとを救うだめだ」という
スタイルになる。

元のブッダの教えに近い宗派は「小乗(一人の乘り)仏教」と
蔑まれることになる。
こうして遠くインドから中国、そして日本と離れるにつれて、
大乗仏教は勢力をのばした。
かくして日本は大乗仏教一色。

でも、これは見方の違いなんじゃなかろうかと今書いていて思った。
小乗仏教と蔑まれ「自分のためにだけの修行」をしている仏教も
じつは「自分よりも大きな目標」として機能している。

小乗と蔑まれた仏教が盛んな国が今でもある。
タイ、ミャンマー、スリランカなどの
温暖な国で信仰心が厚く、信者たちは僧に日常的に
布施をする。

なぜならば、
立派に修行している僧にお布施をするということで、
信者は功徳が得られて、どんどん良い生まれ変わりを
すると信じられている。
悟りに向かう聖者の候補たちのチーム(僧)をバックアップする
ことは、膨大な功徳をもたらすのだ。
これはブッダもたびたび言及している。
僧は布施をいただけるに足りる存在になるために日夜修行にあけくれる。
僧が立派になればなるほど、布施の功徳の価値も上がるので
信者さんにもメリットがあるという仕組みだ。

そう考えると社会的貢献の具合は大も小もない。

でも、たとえば私のように在家で一人で瞑想をしている人ならば、
大乗仏教的に
「瞑想をして得られた平安な心で人に接することが社会を良くする」
と考えると瞑想のモチベーションを保ちやすいだろう。
「自分だけの目標」を少し伸ばして「自分よりも大きな目標」にする
ってかなり有益な考え方だと思う。

 

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Category: 生活を変える方法, 読書

- 2015年11月10日

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