四正太極拳の独習を開始(武術と暴力と瞑想と3)

武術と暴力を隔てるものは、
禅(瞑想)で、だから少林寺という禅寺が
武術の発祥の地だと言われる理由だと、
前回の更新で一人納得した私。

今やっている施設警備の仕事は、職業上
不審な人や酔っぱらいなどと接点があるので
もしものことを考えると何かしらの武術の必要性を
感じている。
(かといって、ほとんどが閑居に瞑想するような仕事で
暴れている人と接触するのは年に数回だ)

そして、いろいろ考えた末、太極拳を学ぶことになった。
なぜ太極拳なのか?

もし、誰かが私に襲いかかってくるとして、
空手などで相手を殴る蹴るをすると、正当防衛とはいえ
非常に厄介なことになる。
怪我をさせたり、あとあと恨まれたりする危険性がある。
そういう意味で空手は(危なくて)使えない。
同じ意味で、私が昔やっていた八極拳も使えない。
無意識に頂肘なんか打ちこんでしまった日には、
相手は確実に怪我をするだろう。

瞑想家としては、心にも悪影響があると思う。
八極拳のように、相手に向って突撃していって
一撃必殺とばかりに全力の一撃を決めるような強襲型の
武術を鍛錬すると、その技の危険性に影響されて
心も攻撃的になってしまう。
ぜんぜん大丈夫な人もいるだろうけれど、
「いつも人を倒すこと」ばかり考えるような、ダークサイドに
堕ちてしまう確率の高い武術だ。
人と攻撃する事ばかり考えていると、暗いオーラを発するようになる。
治安の悪いところではそれが
威圧として発揮されてプラスに働くだろうけど、
この平和な日本で、幸せに生きるのはそういう暗いオーラはいらない。

となると、選択肢として残るのは太極拳なのだ。

太極拳は、武術と気功と瞑想が融合したもので、
瞑想家が習得する武術としては、これ以外に選択肢が無いと
いうくらいのものなのだ。

いろいろリサーチした結果、
最初は呉式太極拳を習いたいと思ったけれど、
私が住む石川県には老師がいない。

DVDで独習できないだろうか?とDVDブックを買ってみた
けれど、套路(型)をみて「これは無理!」と断念。
表面にあらわれる動きが小さすぎて、とてもDVDなんかで
学習できるシロモノではない。

なんかいい太極拳はないだろか、と思って検索してみると、
素晴らしい動きをしている老師の動画を発見。
陳式太極拳の陳小旺老師だ。

かっこいい!やりたい!
それに陳式太極拳は、太極拳の源流と言われるだけあって、
武術の側面がとてもわかりやすいし、昔やっていた八極拳と
共通的があって、私にとって移行しやすい親和性がある。

という訳で、陳式太極拳をリサーチしたのだけど、
デフォルトで石川県には老師がいない。
地方は住むには最高の環境なんだけど、
何かを学ぶには、やはり先生が少ないのだよね。

DVDなどの学習資料を探すと、
とてもいいものがあった。

陳沛山老師の太極拳「超」入門。
同じ内容のDVDもあって、独習用に最適。

本当のところ、太極拳のような難解な武術は
絶対的に独習はおすすめしないんだけど、
陳式太極拳のようにレアな太極拳の老師が近所に住んでいる
確率はいろんな人にとっても、そうとう少ないので
独習にならざるえない。

太極拳「超」入門で紹介されているのは、
陳沛山老師が伝統的な陳式太極拳をわかりやすく
編成し創作した四正太極拳だ。
そういう意味でさらに独習にむいている。

同じ意味で、楊式太極拳のエッセンスをまとめた
簡化太極拳も独習にむいているといえるのだけど、
陳式太極拳の雰囲気が好きなので、私はこれなのだ。

DVDと本を毎回確認して、
一つ一つの技を間違えないように、ゆっくりとした
ペースで学んでいる。

太極拳はいい。
円の動作が中心で、やっていると平和的な気分になる。
(陳式太極拳はときおり突きや蹴りの発剄動作が含まれている
けれど、普通の武術に比べると、断然に平和的な気分になる)

いろいろ放浪したけれど、ようやく自分の気質に合った武術に出会えた。

ちなみに太極拳というと、老人のやる健康体操というイメージしかないだろうけれど、
じつはあれは優れた武術なのだ。

推手という相手の力を受け流し、バランスを崩すという訓練があり、
そういうスキルが一番使える。
套路(型)はその要領を学ぶものでもあり、
私には推手相手はいないけれど、柔らかくバランスと保ったまま動くという相手
練習を毎日していることになる。

それがこの間さっそく活きた。
酔っぱらいがつまらないことで通行人に喧嘩をうって騒いでいた。
私はすかさず暴言を吐いている人に、柔らかく接触して
相手から攻撃を受けないポジション、相手の攻撃を受け流せる用意をして
説得にあたった。

力を込めてグッと相手を抑えると、相手も反発するけれど、
太極拳的にやわらかく接触すると、相手はなんの警戒もしないし、
むしろ落ち着く。
柔らかく触れることは、敵意がないことの一番のメッセージなのだ。
もしも、相手が私を攻撃しようとしても、私としては掌から
相手の行動が読み取れるので、バランスを崩したり受け流したりする
ことができる。

実際の喧嘩は、試合などと違って、ゴングがなっていきなり開始というわけではなく、
その前段階がある。
ボディランゲージで威嚇したり、口撃したりする段階がある。

太極拳は、超接近技法で空手やボクシングのように離れて打ち合うようなもの
ではないだから、試合のゴングがなってヨーイドンではじまるような試合だと
接近する前に殴られて蹴られてKOされるかもしれないけれど、
威嚇、口撃という前段階がある喧嘩騒動ならば、
「まあ、まあ」と相手をなだめるように接近できるので、
意外と一番使える武術なのかもしれない。


Category: 立禅

- 2017年10月17日

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