好きなことが仕事にならなかったらダメなのか

 

「好きを仕事に」という言葉には注意が必要だ。
みんな綺麗でカッコイイ仕事が好きで、
たとえば私の知り合いは「漫画家」を目指していたけれど、
あまりの狭き門に挫折してしまった。

その人が悪いわけではない。
漫画家という異常な競争率の世界では、夢を実現できる人は一握りだ。
みんな漫画家になれるなら、日本には何十万人という漫画家がいて、
漫画雑誌も何万誌もできあがって、書店は毎週送られる
何万という今週号が陳列できずにパンクするだろう。
でも、実際は漫画誌は限られた数しかなく、連載を勝ち取れるのは
ほんの一握りだ。

「夢は諦めなければ叶う」とか「好きを仕事に」と言う人は選ばれし
一握りの人だ。
でも、敗者となってだれからもインタビューされずに
いる大勢の人たちは、

「夢を追いかけてもまだ叶っていない」
「好きを仕事にできていない」

と呟くだろう。
それはこの人間社会の自然な有り様だ。
みんな成功者の言葉を有りがたく聞いて、
いわゆる敗者の言葉は黙殺する。
でも、ほとんどの人が失敗するのはあたりまえなんだ。

だれしもやりたい仕事は高倍率で、席は限られていて、
夢の対象にならないような仕事のほうが圧倒的多数だ。

施設のトイレ掃除をする人がいなかったり、
ゴミを収集してくれる人や、寒空の下で車の誘導をしてくれる
警備員の方や濡れた体でがんばって道路を修復している人たちが
いなかったら、社会は成り立たない。

仕事は仕事で、それ以上でも以下でもない。
この社会に存在して、犯罪的でない仕事ならそれは
必要とされている仕事なのだ。
だから自分の大好きなことが仕事でない、と嘆く必要はない。

でも「好きなことを捨てて仕事に打ちこめ」は確実に間違いだと
断言できる。
好きなことができないくらい仕事に追われるは間違いだ。
家族を犠牲にし、自分の好きなものを犠牲にし、あらゆることを
捨てて仕事する、なんてのは機械と変わらない。

好きなことを大切に。

好きなことがマネーや名声を生まないからといって無駄だと軽視するのも
間違っている。
仕事は社会を支えるためのもので、人生のすべてをかけるものじゃない。
そもそも「好き」と「仕事」は性質が違っている。
好きなことは純粋で見返りを求めないもので、
「仕事」は社会が求めている貢献で、つねに報酬が用意されている。
仕事はお金を払わないと誰も進んでしてくれない。
(逆にお金を貰わなかったらする気になれない「好きなこと」ってなんなんだろう)

もし仕事に「自分の人生のすべて」をかけるつもりなら「好きを仕事に」できないのは
大問題だけど「仕事は仕事としてちゃんと果たす」と割りきって働くのなら
なんの問題にもならない。

漫画家を挫折した人は、趣味で漫画を書いて楽しめばいいじゃないか。
それは雑誌に掲載されないし、有名にもなれないかもしれないけど、
自分が好きなことをしている時間こそが貴重だ。
何故、それが「仕事」として名誉やお金を生まないと失敗なんだろうか。

私の4歳の子供はダンスが好きだ。
彼女は踊りたいから踊っている。
親に認めてもらえるとお小遣いがもらえるという動機じゃない。
逆に、踊りをみていると「みないで!」と怒られる。
彼女は自分が楽しむために踊っている。
それが「好き」ってことじゃないだろうか。

私は文章を考えるのが好きだ。
だけど作家ではないし、有名でもない。
そんなことは関係のないことだ。
集中して作文している時間は素晴らしく充実した時間だ。
それ以外になにが必要なんだろう。

もしも、娘がダンサーとして社会的に認められて「それをずーっとしてください」と
社会から要請されるような存在なら、ダンサーとして生きればいいし、
社会的に必要とされないのなら、他に必要とされる仕事をして、
自分の楽しみのためにダンスを踊ればいい。
ここにはなんの問題も生まれない。

自分の好きなことを重視しすぎて、それで生計をたてなければ
人生の敗者だと考えるのは間違っている。
逆に、軽視しすぎて地位にもお金にもならないと馬鹿にするのも
間違っている。
好きなことが仕事になるならラッキーだ。
でも、仕事にならなくても好きなものの価値は変わらない。

 




Category: 生活を変える方法

- 2016年3月9日

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