死のレッスン

 

娘と一緒にリク(ラブラドール犬)の墓参りに行った。

4歳になる娘はいままで、実家に行ってもリクが
いないことを楽しんでいた。
「えっ、リク死んじゃったの?」と気楽に話していた。
今日は雨なの?
アピタに行ったの?くらい軽い口調。

でも、墓を一緒にお参りしてから、
「死」というものをなんとなく理解したようで、

 

「ねえ、、、、、みんな死んじゃうの?」という質問をしてきた。

 

「うーん、そうだよ、、、、みんな死んじゃう」

娘はいろいろな人の名前を出してきた。
そのたびに私は

「そうだね、、、、いつかね、死んじゃうよ。
今すぐじゃないけど、、、」と答えていった。

猫も家族も、友達も、自分自身も、家も
アピタも、みんな最終的に無くなる、と
答えざるえなかった。
リクの生きて死んだ証が、今、娘に死を教えている。
ここで嘘をついて「大丈夫だよ、死なないよ」と
言うことはできない。

娘は泣いた。
「死んじゃうのは嫌だ」
「そうだね、嫌だよね」と私。

家に帰ると母親に抱っこしてもらって、
「死ぬの?」質問が続いた。
話していくうちに、
「死んだらどうなるの?」という質問に変わった。

実際のことは知らないけれど、
「死んだら赤ちゃんになって生まれてくるんだよ」と
教えた。
そうしたら、少し心が晴れたみたいで元気になった。
「太一(弟)も死んで生まれたの?」
「そうだよ」
「カイ(猫)も死んだら、赤ちゃんで生まれるの?」
「そうだよ、カイもね。
もしかしたら、あーちゃん(娘)も死んで生まれてきたのかも
しれないよ」

だんだんと落ち着いてきたみたいで、遊びはじめた。
死のレッスン終了。
よく考えれば「天国に行くんだよ」という返事でもよかったのかもしれない。

これは別にキリスト教徒だけの概念ではなくて、
ブッダの言葉を集めたとされる最古の経典である「スッタニパータ」には、
「正しい法に従って得た財をもって母と父を養え。正しい商売を行え。つとめ
励んでこのように(五戒を守って)暮らしている在家者は、(死後に)
<みずから光を放つ>という神々のもとに赴く」と語られている。
(仏教でいう神々とは、この世を主宰する神ではなくて、<高次なエネルギー的存在>のことをさす。
人間とは違うけれど、迷える存在で、そして、ブッダはその神々たちの師でもあるというのが
仏教のスタンス。なんて強気なんだ、、、)


天国を語るとしたら、地獄もセットで語らないといけない。

「なにをしても死後は天国よ」という話ではないからだ。
そして、地獄も同経典でブッダが語っている。
ブッダの語るそれは地獄絵図に書かれたようなまさに地獄で、
針を刺され、獣に襲われ、釜で煮られ、焼けた鉄を食わされたり、

潰されたり溺れたり、汚かったりで、まじで地獄の内容。
いままでは、こういう地獄はインド由来のものではなくて、
中国や日本に渡る際に、教訓的に付け加えられたお話だと思っていた。
しかし、スッタニパータにあるということは相当古くからある考え方という
ことになる。スッタニパータが偽経ということになると、まったく
信じられる経典がなくなるから、とりあえず信じておいて、

「マジか、ブッダが地獄語っとったんか」

と私はビビった。
地獄というのは、この世を生きる罪人の心の中の世界かと

思っていたけど、もしかしたらあの世にもそういうのあるのかもと
思うと、ちょっと悪いことはできんなぁと改めて思った。

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リクが死んだ日は大雨の日で、停電になってロウソクの火で過ごした。

 

 

 

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Category: ヨガ的かんがえ, 家族

- 2015年5月24日

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