あなたの考えはあなたじゃない

瞑想をしていると、自動的にいろいろな考えが次から次と浮かんでいる
ことがあらためて自覚できる。

私は呼吸に意識をむけようとしているにもかかわらず、
まったく思いがけない記憶や心配事、恐怖、欲しい物に
翻弄される。

自動的に再生される「自分TV」をみているようだ。
みたくない番組が延々と再生される。
この「考え事」や「記憶」の束を
私は通常「私」と呼んでいる。

でもこれは不思議だ。
自分で次に何を思うかコントロールできないものが
どうして「私」なんだろうか。

こういうことが実感できると、
思い浮かんだ考えや感情に以前ほど重きを
おかなくなる。
そうなると、五戒(在家の仏教徒として生きるルール)
が守りやすくなる。

たとえばミスをして、咄嗟に
「隠せないだろうか?」と考える。
その考えに同一化しない。
「正直に言うべきだ」という考えに
意識をむけて正しく生きる。

まわりの人に「あの人はミスをした」と思われてもいい。
それは事実だ。
それよりも内なるルールを破らないことを重視する。
「私は嘘をつかなかった」ということのほうが重要だ。
外面よりも内なる世界を重視して生きることが、
いい人生だと思う。

暴力、嘘、欲望、快楽。
外部と接触して思い浮かぶすべての衝動は、
真実でもなければ、絶対にしないといけないこと
でもない。
それらを選択しないことで、
だんだんとそれらは弱くなっていく。
腕を使わないと筋力が衰えていくように、
やらないことは弱まっていく。

それを信じて、私は
試行錯誤して苦闘して生きている。
もう楽勝に五戒を守れたら凄いと思う。
それこそ人生の勝者だ。
うん、がんばろう。

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Category: 瞑想

- 2015年12月16日

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