才能豊かな人になる方法

「おれは才能がないからなぁ」
と華々しく活躍している人のことを見て、
日陰に佇むような気持ちになる人も多いと思う。
かくゆう私もこれといってパッと凄い才能がある人間じゃない。

天才。
柔術家のヒクソングレーシーは、兄弟たちと子供の頃から柔術をして育った。
しかしある日、兄弟たちの動きが手に取るようにわかるようなった。
そのとき、ヒクソンは神が授けたギフト(才能)があることを発見した。
他の兄弟にはなく、自分にだけ授けられたもの。

「お金を儲けよう」と小説を書き始めて、いきなりデビューして、
本当にお金を儲けた作家。
才能があった、としか思えないエピソードだ。

才能を考えるとき、
まったく偶然に生まれる賜物と
考えることもできる。

もう1つは前世があると仮定して
そこから考えることだ。
すごーい飛躍だけど、
前世ありきで考えると、ヒクソンの才能の説明は、
前世でも、組み技を鍛錬していたからだ、となる。
継続する才能。

そして、これは実のところブッダも語ったことだ。
ブッダは出家者に、悟りのレベルによって
生まれ変わる回数が決まると言った。

悟りのファーストステップである預流果に達した者は、
最悪のケースでも、7回生まれ変わる間に解脱する。
これは、生まれ変わっても継続する何かがある
ということを前提としている。

死んだらまったくゼロに戻っておしまい、ということなら、
こんな7回生まれ変わるまでにはゴールなんて気の長い話は
ありえない。

ということは、
「おれも歳だし、もう成長しても無駄じゃね?」みたいな
考えをしなくてもいいことになる。
それはちゃんと来世に継続する。
そして、もし来世がなくても、死ぬまで成長すべく
がんばる爺ちゃんばあちゃんとして生きるのは
素敵なことだ。

だから、今どんなに劣っている自分でも、
一歩踏み出すことは無駄にならない。

私が思うになにかする時の一番の害悪は
「短い期間での成功や失敗に囚われる」ことだ。
それが物事を楽しめなくする。
心のゆとりを無くす。

どんな出来でも関係ない。
死ぬまでコツコツとやればいい。
おこなうこと自体を楽しめばいい。
来世があろうがなかろうが、コツコツと努力する生き方を
していて人生を棒にふることはありえない。


Category: ヨガ的かんがえ

- 2015年2月5日

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