書いて一日を終わらせる

ブログの更新には私なりにルールがある。
ただの日記のような更新はしないこということ。
なにかしら、自分が気づいたことや読んだ人がほんの少しでも
得るものや参考になることがない記事は書かないというルールだ。

でも、そうなるとそうそう気づいたことや
学んだことがある日ばかりではない日々が続くことが多い。
ルーティーンのように
過ごしてしまった日や、ブログで書くにはふさわしくない
プライベートな記録など、何も書かずにすごす日が増える。

そうなると、いざ書きたいことを見つけても、
毎日継続して作文していないので、自分の考えがなかなか文章にならなかったりする。
それに、ブログで書くほどではなくても日々、色々なことが起こっていたり、
感じていたりする。
それを書かずに忘却の彼方に流してしまうのはもったいない。

そういうわけで、日記を始めた。
Macを使っている私は、以前も日記を書いていて
day oneというシンプルで写真も記載しやすいアプリを使っている。

だれにも見せない文章だから、私以外には読む価値のない文章ばかりを
つらつらと書ける。
書くことで外部の出してしまって、心を整理することができる。

書くことで、これで心置きなく一日一日を忘れることができる。
中断していた以前の日記を読み返すと、その時の記憶が蘇る。
脳の索引を外部に存在させて、今日は今日で忘れてしまおう。

昔の日記を読み返すと、いろいろ良いことがあったり、
失敗して凹んだりしている自分がいる。
それをすっかり忘れている自分に気づく。
その時は大きな出来事でも、日常は流れて忘却していく。

昔、心配したり不安していたことは、ほとんどが杞憂だったと
気づく。
その当時はリアルな悩みだったけれど、今きづくと
自然にうまく行っていたり、ダメならダメで
そのショックは古傷になっていまは皮膚にその痕跡だけを
残すような懐かしい記憶になっている。

ときおり日記を読む返すなんてのもいいかもしれない。
自分が誤解していたことや自分の退化や進歩が見られるからだ。

それから、すっかり忘れていたことを思い出せてくれる。
私は現在、禁コーヒー中。
夏になりアイスコーヒーが美味しい季節になるとその誘惑は強い。
でも、私はコーヒーは飲まないのだ、、、なぜなら、、、、?
自分でも理由が思い出せない。
なんせ2年前からコーヒーを断っている。
嘘みたいだけど、なんでコーヒーを止めたのかその動機を
忘れてしまった。

昔していた過去のブログを検索すると、その時のことが
よみがえった。
娘が糖分の高いジョアを飲むのをやめさせるために、
「パパは大好きなコーヒーを止めるね!」と炎の約束を
したんだった。
現在、娘はジョアは飲んでいない(その他のお菓子などは
食べているけれど)
だから、私もコーヒーを飲まない。
めでたしめでたし。

あと、書くことは考える力を養う。
ショーペンハウアーは読書をしすぎると、自分で思考できない
バカになるという旨を書いていたけれど、
考えて形にするという活動は、考える力を養う。

つらつらと書いたけれど、読書が好きな人で
作文をしていない人は片手落ちでもったいないと思う。


Category: 生活を変える方法

- 2016年7月31日

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