幸福に溶かされる、不幸に力づけられる

最近、不幸が足りない。
修練に身が入らない。
ふわふわと漠然と幸せで、そうなると
瞑想をするモチベーションを保つのが難しい。

考えることもなくなる。
ただ、日々を無為にすごし、家庭菜園に勤しんだり、
子供と公園で遊んだりして、春を満喫している。
ほとんど成長のない、だけど楽しい日々だ。

瞑想と肉体鍛錬で、満足しやすい人間になった結果、かもしれない。
とくになんのこともないけれど、不幸じゃない。
何かを切望することもないし、大きな不満も苦しみもない。
肉体の疲れや、筋肉痛や、すこしのストレスはあるけれど、
それが心をかき乱すこともない。

凡人の凡人たる由縁はここにある、と一人納得する。

思うに、私と天と地ほど違うレベルの人間であるゴウタマ君はどうだろうか。
ブッダになったゴウタマ君はきっと
膨大な苦しみを持って生まれた人なんだろう。
繊細で繊細で、感受性の塊で、
ただ生きるということや老いるということが、
私とは比べ物にならないくらいの苦しみだったんだろうと思う。

私が5センチくらいの厚い皮膚を持つ動物人間だとしたら、
ゴウタマ君は、皮膚もなく風が吹いただけで体が痛むような
繊細さをもった人だったんだろうと思う。

でなければ、彼の追求があれほど執拗なわけがない。
どんなに優れたものでも、すこしのまがい物があれば納得しない。

もし私だったら、王子として生まれたら、楽しく王子として
豪勢な生活を楽しんで、だらだらと生きて死んだだろう。

ゴウタマ君の苦しみは、王族の暮らしでも満たされないもので、
出家して仙人のもとでサマタ(集中)瞑想を極めて、
普通の人間なら、それで満足してしまう精神的な境地に至っても、
それでも止みがたいほどの強烈さだったんだろう。

チベット仏教だったか「大きな煩悩、大きな悟り」というような言葉が
あったと思う。
ゴウダマ君は、大きな苦しみをもっていた。
それはこのような苦しみだったと思う。

貧乏な人は金持ちになりさえすれば幸せになれる、という希望をもっている。
金持ちの不幸はすでに金を持っているので、その淡い希望がない。
その金持ちが権力を極めれば、と高い地位に登った時に以前として感じる不幸は、
いったい何が自分の心を満たすのか、という深い不幸だ。
砂漠の蜃気楼を追いかけて生きて、人生の最後に、蜃気楼は消え去って
砂漠に一人という状況だ。
その不幸は、貧乏人の不幸よりも希望がない分、露わになった根源的な不幸だ。
希望のないまじりっけのない、根源的な苦しみだ。
ゴウタマ君の苦しみは、人類最高度の頭脳と精神力と、そしてその当時で最高の生活を
もってしても、痛みが止まないという苦しみだった。

瞑想をして、小さい悟り(預流果)になった人はそこで満足してしまって、
修行が進まなくなるという。
私はもちろん、自然に五戒を守れる預流果ではないけれど、
そこにいたる以前に、春の陽気ととくに大きな不幸がない、という
ことで瞑想が滞っている。

人の限界は、その人がどれだけ苦しみを感じているか、で
決まるのかもしれない。
いわゆるハングリー精神だ。

で、ハングリー精神があんまり無い私はどうすればいいのか。
このままのほほんと死んでいくのだろうか。

大丈夫、きっとこれから不幸が襲ってくる。
春は続かない。
人生は苦しみとその停止である楽とがより合わさっている。

というか、私は<苦>ドゥッカで出来ている。
コントロール不能の物質と心が結合してできた私が、
苦しみから逃れられる訳がない。

菜根譚では、

逆境の中にいるときは、身の周りのすべてのことが鍼(はり)や薬になり、
それで節操を砥ぎ、行動をみがいているのであるが、本人はそれに気づいていない。
これに対して順境にあるときは、目の前のすべてのことが、
実は刃や戈となって、それで肉を溶かし骨を削っているのであるが、
本人はそれを知らずにいる

と順境を諌めている。
私はいま、肉が溶けて骨が削られているのに気づいていない愚者だ。
このまま、のほほんと春を過ごして生きて、いざ冬が来た時、
私はそれに耐えられるだろうか。

映画「スパイゲーム」で老練なスパイのミュアーは
用心することを軽視する秘書に
「ノアが方舟を作ったのは雨が降る前か?あとか?」
と聞いた。
「雨が降る前だ」

順境のときの瞑想は、嵐が来る前に船を作る試みだ。
当たり前だけれど、きっと嵐が来る。
その時に、籾殻のように吹き飛ばされるか否かは
この順境の時にかかっている、と思って、
瞑想と肉体鍛錬の実践をしていこうと思う。

<毎日とくに必要のないところで集中力を養い、
意志を鍛え、禁欲を実行している人は、
何かが起こったときには、何もかもが
揺れ動いて根性のない人々が
籾殻のように吹き飛ばされても、
塔のように堂々と立っていられるだろう>
ウィリアム・ジェームズ

 

 

 


Category: 未分類, 瞑想

- 2017年4月21日

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