ヨガで自分の心の方向性だけは変えられる

 

何か起きたとき、人によって反応が違う。
地球が滅ぶかのように悲観的になる人もいれば、
水しぶきが顔にかかった程度にしか感じない人もいる。

たとえば隣人に問題があった場合、
その人を変えることはほぼ不可能だと思ったほうがいい。
言ってわかる人なら、言えば済むだけの話だけど、
言ってもわからないから厄介なのだ。

そうなると、最善の策は「自分の反応を変える」だ。
嫌なことを言われたとき、嫌な気分になるのはしかたない。
でも、それを心の中でリピートしている時がある。
気分の悪い出来事をずっと放映しているテレビのようであり、
現実には一回しか言われていない悪口を何回も繰り返す迫害者。
気分の悪さを増幅して繰り返す、そういう心は自分の敵だ。

私たちは「自分の心」というけれど、
次に何を連想するのかはコントロールできていない。
この瞬間に、表から石焼きいもの、いしやーきいもー♫が
聞こえたら、石焼き芋が連想される。
悲鳴が聞こえたら、驚愕や悪い想像がおこる。
外から影響うけまくりなのだ。
この動きに無自覚だと、いつのまにかネットサーフィンのように
心は暴走して思いがけない所に運ばれるはめになる。

連想はコントロールできない。
でも、「何に意識を集中するか」は選ぶことができる。
一点集中の聖者は、仕事を終えたら仕事のことはさっぱりと
忘れて、つねに目の前のものに集中して今を生き、
過去を思い返すことはないという。
それは、つねに意識的に「今」に心を止める術を身につけている
からだ。

無自覚に生きると、心の奴隷になる。
暴風に翻弄され、まったく進路を決められない難破船の
ような人生だ。
でも、意識して生きると人生の荒波を受けながらも、
自分の望む方向に進んでいくことができる。

心は意識的選択の結果だ。

たとえば感謝すべきことを意識的に探して生きると、
どんどん感謝する心が増えていく。
憎しみにフォーカスして生きると、
イライラがどんどんひどくなる。

悪いことが起きていると思っている同時刻に、
感謝すべきこと、喜ばしいことも存在している。
悪いことに意識をむけて苦しんでいると、
それが大きくなって、喜ばしいことや感謝すべきことが
見えなくなってしまう。

心の反応を変える、とは心の選択力を鍛えると
言い換えることもできる。

シンプルな呼吸の瞑想は、
この心の選択力を鍛えるのにも役にたつ。
ただ呼吸の感覚をむけるというのは
すごく難しいことだ。
あっという間に意識は心の物語に吸いこまれる。
それを自覚して、また呼吸に意識を戻すという
繰り返しが呼吸の瞑想の最初のステップだ。
悪い記憶がフラッシュバックしてきたときにも有効だ。
過去に起きた出来事や未来の不安の悩みのループに入るのか、
今ここにある呼吸に落ち着くのか、意識して選択する。
持ち運びできて、どこでも実践できるヨガだ。

呼吸瞑想の本。
呼吸に意識をむけることはまさに呼吸による癒やしだ。

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Category: エッセンシャルヨガ, 瞑想

- 2016年2月7日

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