お金より心の富だ、という生き方で結果的にお金増えていく

20代の前半はお金の研究ばかりしていた。
自由になるためだ。
日々、心を病むような仕事をしていて、そこから抜け出すためにはお金持ちになるしかないから、一生懸命貯金をしていた。
会社に売り渡した奴隷としての私を「買い戻す」ための金がいる。
そんな思いだった。

結局、心を病んで仕事をやめて、その魂のどん底から抜け出すために色々と探してアシュタンガヨガに出会った。
今ではアシュタンガヨガはまったくしていないけれど、アシュタンガヨガは規則正しく身体を動かすヨガで、心と身体の健康をある程度取り戻すことができた。
アシュタンガヨガを研究していく途上で、ヴィパッサナー瞑想に出会い、いまではそれが私のヨガになっている。

現在は20代の頃のような切迫した「お金!お金!自由になるための金!」という気持ちは無い。
それよりも、心の富、つまり智慧と慈悲が大切だと思う。
(謙遜している訳ではなく、私には智慧と慈悲が、ぜんぜん無い。
だから、死ぬまでに少しでもマシな人間になるのが目標だ)

お金について考えないけれど、なんだかんだで貯金額が増えていく。

昔は歯を食いしばって倹約していた。欲しい物は我慢。
でも、今は欲しい物があんまりなくて、それでお金を使わないから、自然と貯金額が増えていく感じだ。

服はユニクロで十分だし、お酒は飲まない、タバコは吸わない。
友達がいないから交際費もかからない。
車は直しながら20年乗る予定だ。
トレーニングは自宅で自重トレーニングとケトルベルで、
一切費用がかからない。
本は図書館で借りて、繰り返し読みたい本だけ買っている。
瞑想も無料だ。
家族旅行はほぼキャンプだ。

家族がいなかったら、一気に隠遁者になってしまうライフスタイル。
これはきっと瞑想の効果だ。
以前よりも少しだけ「欲」が減った。

「欲」を満たすためにはお金がいる。
流行りの服装、一目置かれる時計、見栄えのいい車、高級ブランドの商品。
コレクションする物、お酒、グルメ。
これらの物を必要としなくなると、お金がほんとうにかからない。
それで普通に働けば、普通の人よりも多く貯金できる。

ぜんぜん人生を楽しんでいないように見える生活だけれど、それはCMに洗脳された考えだ。
人生を楽しむのに浪費は必要ない。
心の富があればいい。
人間は自分の心の中に住んでいるから、
心が豊かならば人生は楽しいのだ。
お金は、
チャップリンが言うように「少しのお金」があればいい。

そういう生き方をしていくと、自然とお金が余って貯まる。

今ではお金はいざという時の防波堤だ。
怪我や病気に働けなくなった時に、一気にピンチにならないための
緩衝帯だ。
大切だけれど、人生のすべてではない。













Category: ヨガ的かんがえ

- 2019年3月24日

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