腕力よりも心の力

腕力自慢の知人がいる。ある日、上司と意見が衝突して殴りかかりそうになった所を、数人がかりで取り押さえられた。

社会人として取り返しのつかない暴挙だった。結果は失業。その会社でいままで築いてきたものも、信頼もすべてパーだ。

以前、筋トレは万能で筋トレをしておけば大丈夫という本があったけれど、彼の場合、筋力は足りていた。必要だったのは、逆上しない冷静さを保つ心の力だった。

彼の住む世界がアメリカの刑務所ならば、自分を侮辱する相手を殴り倒すことは、面子を保つ上で必要で、正当化されただろう。その世界では腕力はとても重要だ。

しかし、檻の外のまともな社会人の世界では、腕力を使った時点で終わりだ。必要とされるのは心のコントロールだ。

自分の意にそぐわない人間を殴って生きていたら、行き着く先は刑務所だ。住む世界が違ってしまう。そうならないためには心を変えて、生きる世界を変える必要がある。

そのためのソリューションは「瞑想」だ。自分が敵意を持てば他人も敵意をむけてくる。ならば自分の中から敵意を少なくしていけば、他人からの敵意も少なくなる。

同じ人間でも、自分のレベルが変われば他人からの対応も変わってくる。確実に言えることは、瞑想をすることでで今よりも穏やかになれる、怒りや欲望が減る。ということは今よりも穏やかな世界に住めるのだ。

私は最近まで、いざという時の為に護身術が必要だと思っていた。けれど、そもそも護身術を使う必要を無くすこと、争いを未然に防ぐことが最上の道だ。暴力の世界に降りてしまったら、いくら腕力や武器があっても足りない。

アメリカの戦争が、テロを生んでその終わりが見えないのは、暴力的な解決法が敵をどんどん増やすからだ。対立しない平和的な方法こそ、最善の護身術。

そんなことを考えていたら、たまたま危険度の高いシチュエーションに遭遇した。

職場の施設内にガラの悪そうは若者が6人くらい車座になって地べたでタバコをふかしていて、それを立ち退かせるという、一歩間違えば身の危険がある仕事だった。

敵意を向けずに理をもって話したらすんなりと6人は立ち去ってくれた。拍子抜けするくらい簡単だったけれど、もしも私が苛立ちや敵意を含んだ対立的な対応をしていたら、確実に違う結果だっただろう。

一生、争いごとに巻き込まれないように、自分の心を整えていくこと。パワーを必要としない生き方こそが、瞑想が与えていくれる見えないパワー。争いやトラブルを未然に防ぎ、それに費やすパワーがいらなくなるというパワー。

このパワーはトラブルを未然に防ぎ、見えないためまったく目にすることができないけれど、これこそ最善のパワーだ。




Category: 瞑想

- 2018年11月23日

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