観の目護身術

40歳にもなって、なんと若者にガンをつけられるという
経験をした。
地面に座っているガラの悪そうな若者を観察した
私も悪いのだけれど、偶然、一人と目が合ってしまった。

若者は「なんだこのオヤジは」という目で私を睨みつけている。
敵意を向けられて、私の内部にも敵意を芽生えたけれど、
冷静な目は崩さなかった。
なんなく通り過ぎることができた。

しかし、
通りすぎた直後は正直、私の心は「気に食わん、あの若造をぶっ飛ばそう」と
さまざまなシュミレーションを繰り広げ、それに意識が巻き込まれない
ようにするのが大変だった。

呼吸に意識をむけて、体の感覚に意識をむけて、
グルルルと唸る自身の中にある敵意のエネルギーを
感じていると、すこし頭の物騒なシュミレーションが収まり、
敵意は薄れて、冷静になれた。

6人はいた若者グループ相手に襲われたら、まあ無事ではいられないし、
もし無事でも、ガンとつけたつけられなかったで路上で喧嘩騒ぎをおこすような
おっさんは社会人としてアウトだ、という敵対するという選択の末路を
考えると、怖くなった。
喧嘩騒動で仕事を失う、これはホラーだ。
いったいどこに人生の落とし穴があるかわかったもんじゃない。

敵意をスルーできたのは、
目つきが大きいのではないかと思う。
私は普段から意識して、眉間に皺を寄せないようにしている。
見るのでなく、風景が目の中に入ってくるの
受け入れるようにしている。
観の目になる。
1つの物をグッと凝視するガンをつけるのと反対の目の使い方だ。
目線の向けた先とその周辺を大まかに見るような目で、
だいたい生きている。

それを意識して、
鏡で自分の顔をみると、何を考えているのか何を見ているのか
我ながらわからないボンヤリとした、動物のような顔になる。

「人を襲おう」と思っている人は、
ガンつけにガンを返してくる敵意や、
ガンつけに動揺する臆病さに反応する。
敵意も臆病さもない目つきは上記の2つに比べれば安全だ。

思えば、私はファーストコンタクトで、この観の目を
忘れ、一瞬、ガラの悪い若者を凝視してしまった。
この一瞬のミスがガンつけを招き、
でも、ふと目の力を抜くことができたから、
ガンとガンのぶつかり合いは避けられたんだと思う。

もう少し言えば、最初の時点でぼんやりと周辺視野で
観察すれば、なんの反応もおこすことなく通り過ぎることが
できたはずだ。

今回の教訓
周辺をチェックすることは、街を歩く時は必要。
でも、危険そうな人物をじっと凝視してはいけない。
それが禍を招くかもしれない。

ひったくり犯が被害者を物色していて、
歩きスマホで背中を曲げて、
ブラブラとゾンビのように歩いている人がいたら、
それは襲いたくなるだろう。

でも、周辺を何気なく観察して、背骨を伸ばして
歩いている人は襲いにくい。

荒っぽい経験がぜんぜんない平和主義者の私がいうのも
なんだけど、なにも起きない、平穏無事というのが
最高の護身術だと思う。



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- 2016年11月24日

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