瞑想時間を伸ばしたいなら結跏趺坐をやめる

積年の課題である「瞑想時間を伸ばす」問題。
それが解決したのは、NHKの心の時代で井上ウィラさんという
禅僧からミャンマーの僧侶に出家し直した経験のある方の
話を聞いたからだ。

憶えている範囲で内容を要約すると、
井上ウィラさんは結跏趺坐という厳格なスタイルの禅宗から、
時間割も座り方も限定されていないミャンマースタイルのテーラワーダ仏教に
転向した人で、ミャンマースタイルでは厳格な時間割は存在しないけれど、
とにかくひたすら歩く瞑想をするか、座る瞑想をし続けるという、
瞑想三昧の日々を過ごした人だ。

禅宗の場合、たいていは線香が燃え尽きる一炷、約40分から1時間くらいの
時間で一回の座禅は終了だけど、ミャンマースタイルでは一回の時間は特に
決まっておらず、1回3時間とか6時間とか座ることがある。

それが出来るのは、結跏趺坐をやめて、あぐら座りにしたからだ、という
内容の話だった。

たしかに、結跏趺坐は安定感抜群だけど、かなりの確率で足がしびれる。
私の最高記録は、体調が万全の時で1時間20分くらい。
拷問のような足の痺れに耐えながらの記録だ。

禅宗では結跏趺坐は「絶対」だ。
でも、ミャンマーではぜんぜん重視されない。
たしかにミャンマー系のゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想でも、
座り方はほぼ一切指導されなかった。
背骨を伸ばして、くらいは言われたような気もするが、
詳細な座り方の指導はない。

思い起こしてみれば、私が数年前に1日10時間の瞑想を
9日間続けるヴィパッサナー瞑想のリトリートに参加した
ときも、試行錯誤のすえ、ばっさりと結跏趺坐を捨てた経験がある。

長い瞑想時間を乗り切るには、結跏趺坐は足にダメージを与えすぎる。
結局、いろいろやってみて達人坐という踵と踵を体の中心で合わせる座り方に
落ち着いて、その座り方でいろいろとディープな瞑想体験ができた。

でも、家に帰って数年しているうちにいつの間にか
「やっぱ結跏趺坐でしょ!」と禅宗風のやり方になっていた。
その間、大乗寺の早朝座禅に参加したり、講話を聞いたりしていた
から、道元禅師の「禅は絶対に結跏趺坐っしょ!」という思想が
侵食していたのかもしれない。

結跏趺坐を極めたいのか?
それとも瞑想時間を伸ばしたいのか?
自問自答すると答えはすぐにでる。
心の中で勝手に師事しているウ・ジョーティカ師は
「1回3時間瞑想できるようになる」ことを
良しとしている。
私の目標もそれだ。

というわけで、初心に戻り、道元禅師にさよならして、
達人坐(シッダーサナ)で座る。

1時間が楽勝に座れる!
いつもなら、足が痺れて、
痛みをこらえるところに意志力をとられていた
けれど、自然に静かに瞑想できる。

なんでこんなシンプルなことに気づかなかったんだろう。
逆に結跏趺坐で2時間とか3時間とか座れる人は世界に
何人くらいいるんだろう、とも思う。
禅宗の瞑想の時間割が1回1時間以内なのは、
やはり結跏趺坐が楽に座れる限界が短いからなのではないだろうか?
とも思う。

タイの仏像。
見た感じ、達人坐に近い座り方にみえる。
瞑想で重要なのは足ではなく、背骨なので
足の組み方はそんなに重要ではないと思う。


Category: 瞑想

- 2018年3月6日

Comments

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *