昨日まで何も所有しておらず、明日が終わりの日のように生きる

ストイックの語源ともなったストア哲学は、とても仏教に似ている。
近所にストイック(ストア哲学実践者)と仏教徒がいたら、どちらも同じ教えを生きているように見えるだろう。

どちらも怒りに支配されたり、欲望を追いかけたりせず、噂話や陰口などには興味がなくとても信頼できる人で、生活は簡素で贅沢はせず、改善できることは改善し、でも自然の流れには逆らわずに、穏やかに生きている。

ストイックになっても、仏教徒になっても、日常生活に違いはほとんどない。
私的には、ストイックという山と仏教という山の麓(初級)は、繋がっていて、山の中腹や山の頂き(中級、上級)だけが違っているくらいの印象だ。

仏教も好きだけど、ストア哲学も好き。
ダンマ(法)が、宗派や派閥に囚われない永遠の法ならば、
それを発見し体現したシッダールタさんの教えである仏教と、
同じくダンマ(法)に触れたギリシャやローマのストイックたちは
兄弟みたいなのだ。

この間、そんなストア哲学を現代バージョンに蘇らせたウィリアム・B・アーヴァインの「良き人生について」を読んだ。
そこで感銘を受けたストアの心理技術があって、今日はそれを紹介したい。
ちょっと使うだけでも、人生の質が向上する技法なのだ。
それは「ネガティブビジュアリゼーション」という。

たとえば、子供がいるとしたら、その子はいつか死ぬ人間であり、自分が所有しているわけではないこと「永遠にではなく、いま現在のために与えられたものであること」を忘れない。
我が子を見たとき、明日その子が死ぬかもしれないという可能性を心の中で考える、というのがネガティブビジュアリゼーション。

なんと不吉な!と思うかもしれないけれど「子供がいるのが当たり前」と思っている親と、「明日死ぬかもしれない」という真実、これは妄想ではなく、厳然たる事実を受け入れる親がいるとしたら、
子供が失われる可能性を手元に置いている親の方が、今この瞬間に子供といられることを感謝して生きることができる。
「子供が死ぬかもしれない」という事実だけで終わりにせずに「今ここに子供が存在している」という今を喜ぶことがセットになっている。

ストイックが求めるのは苦しみを克服することと喜びだ。

そして、実際に子供が死んでしまったら、当たり前のようにずっと生きると思っていて「いつか真剣に向き合おう」と考えていた親は「こんなはずじゃなかった、もっとしっかりと触れ合っておけばよかった」と後悔の涙を流す。

死の可能性を受け入れていたストイックも悲しみの涙を流すだろうけれど、子供と過ごしてきた日々に後悔はない。これが最後の瞬間だと思って今まで生きてきたからだ。

これは仕事には持ち物には応用できる。

今日は仕事は嫌だなぁという人は、もし無職で収入が断たれたことを想像すると、仕事がある有り難みがわかる(無職になってよかった、と心の底から思うなら転職したほうがいい)

当たり前に思っている自分の持ち物は「もしこれを所有していなかったら」と想像する。

これをすると様々な「あたりまえ」のものや人に感謝の念がわいたり、かけがえのなさを痛感する。





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- 2019年2月1日

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