QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を損なわない練習

 

継続は力なり。
そんなことわかっているけど、何かを続けるのは難しい。
最初は情熱的にやるけど、だんだんと億劫になって
断念してしまう。
運動とか、ダイエット(食事制限)とか、英会話とか、ジム通いとか、
新年の誓いでいままで生存しているものが少ないというのが
現状だろう。

最近、自分の悪い癖を発見した。
これは大発見で、いままで継続できなかった物事たちの
「三日坊主の原因」がわかったのだ。
それは「最初から限界までやる病」だ。

たとえば、ランニングだったら今までのやり方なら、
自分が走れるギリギリをこなそうとした。
たとえば去年の冬は、ほとんど走っていない体で
いきなり15キロほど走った。
次の日は疲労困憊で練習どころではなくお休み。
1日だけなら走れる距離だけど、毎日は続かないことを
意志の力でやってしまう。

たとえばダイエットだったら「一生続けられない過酷な食事制限」を
いきなり始めてしまう。
痩せるは痩せるだろうけど、必ず「もう限界」が来る。
そうなると、待っているのはリバウンドだ。

ようは「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を下げるような生活」は
続かないのだ。

またランニングを再開したけれど、今は余裕をもって走れる5キロほどを
心拍数を見ながらゆっくり走っている。
今日で13日目だけど、体の節々が痛いということもなく、
走った後の爽快感だけがある。
そして、だんだんと5キロが楽になりつつある。
すこしづつ距離を増やしていこうと思う。
毎日継続すると、余裕をもって走れる距離が増える。
そうやって結果的に強化されるというのが理想だし、
この方法でしか私のように根性論が苦手な人間は継続できない。

最近は「いかに効率的にやるか」という方法論が幅を利かせている
けど、しっかりしたものを作るには時間がかかるのだ。
中国ではそれを「功夫」という。
「功夫」とは戦いの技という意味もあるけれど、
「手間と暇をかけるて養ったもの」という意味もある。

「功夫」は即席で養うことはできない。
たとえば武術でいえば体を強化する「硬功夫(インゴンフー」は
ゆっくりと無理のない力で木を叩いて、体を少しづつ鍛えていく。
無理しておこなうと体を壊すから、ゆっくりすこしづつ鍛えていく。
何年もかかる。あるいは一生かけておこなっていく。
ある人が中国に行くと、木を黙々と蹴っている老人がいた。
10年後、また中国を訪れると、同じ老人が同じ木を同じように
蹴っている姿をみた、というエピソードもある。
十年一日の如く、黙々と気長に鍛錬していく。

スポーツ選手の寿命が短いというデータがある。
体に無理をさせるトレーニングを根性でおこない、
限界まで自分を追い込んで競技する。
若い時だけ可能な無理に無理をかさねる。
現役を退いたあとは、怪我や後遺症が残る。
競技のために体を酷使して命を削ってしまうから、
長生きできない。

功夫の考え方は、鍛錬が「養生」になるようにする。
体を強くし、命を伸ばすようにゆっくりと気長に鍛錬するのだ。
体に無理をかけない。
たとえば、ある日本人修行者が一日に膨大な練習をしたら、それをみていた
老師に叱られた。
そんなに練習したら次の日に練習できなくなる、という理由からだ。
毎日できないようなやり方はしない。
これが戦国の世なら筋肉痛と疲労でパフォーマンスが落ちた
時に襲われたら命取りだ。
自分で「明日の自分」を弱くするような鍛錬はしない。

昔、習った中国武術の方法論が今になって、
素晴らしいと理解できる。

ウサギと亀なら、亀のように休まずにじっくりと
やっていこうと今は思う。

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Category: 体を変える

- 2015年10月30日

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