風邪休みとフラッシュバックと

風邪をひいた。
風邪には病気を治す効能があるという人もいる。
でも、風邪をひくと「ひかないに限る!」と思う。
頭がボーッとして、なんにも有意義なことができない。
こうやってブログを書いていても、
なんだか文字のまとまりが頭に入ってこない。

こういう時は天からいただいた休暇として、
できる限り手を抜いて生きよう。

病になると体の機能がおかしくなって、
昔の記憶が断片的に蘇ったり、
人生の役割が消えて「ただ横たわる生き物」に
近づいていく。

20代の前半、何があったのか忘れたけど寒い夜道を
一人帰っている時、涙がでるほど悲しい思いをした記憶がある。
私はそのときの感情を言葉にして呟いて歩いていた。

「こんなに愛されない人生ならいらない」

この言葉を歩きながら何度も口にした。
失恋でもしたのか、あんなに切実だったのに、
ここにいたる経緯を覚えていない。
だけど、暗い夜道をだれにも愛されない自分として歩いたあの夜の光景は
よく覚えている。

だけど40代に手が届く頃になってわかることもある。
あのときの私に言うならこうだ。
時空を超えてメッセージをおくろう。

「生きているということは、愛されていることの証明だ。
命というのが愛なんだ。言葉にならなくても、他者の存在として
感じられなくても、事実、生きているということは愛されていることだ」

あなたは涙をながして夜道を歩いている。
だけど、どうしても独りになれないんだ。

まわりに誰もいない。
孤独だと思うだろう。
違うよ、生きたあなたがいる。
どんなに独りの人でも、まったく生物のいない場所にはいけない。
どこに行くにも、あなたの体が一緒だからだ。
体は、生きた命のバトン。
あなたの両親のまたその両親の両親が人生をかけて繋いだ
命のバトンがここにある。
だからあなたは何千年にもわたる命のバトンの集積点で、
先祖供養とは、自分を大切にすることなのだ。

当時のことを少し思い出したけど、
その当時の私は、ヘビースモーカーで缶コーヒーを一日に5缶は
飲むコーヒーと砂糖中毒者で、毎日晩酌するプチアル中だった。
若き日の私よ、他人から愛される前に自分をご自愛ください。

いまにして思うのだけど、他人から愛される愛されないことよりも、
自分自身を愛せることのほうが重要だ。
涙を流しながら呟いていた言葉を反転すると、
「他人から愛されない人生を生きているおまえはいらない」という鞭になる。

自分を責める傾向は、いまの私にも残っている。
いいじゃないか無条件に自分を肯定して、
ダメでも体が弱くても敗者でも、
ひたすら自分の味方であれ。

あの日の自分にいう言葉を要約するとこうなる。
「いいじゃないか別に。
たいしたことないって。
家に帰って熱い風呂に入って、
旨いものでも食ってたっぷり寝ろよ。
まあ休んだら?」
というおじさん度満点の言葉に要約される。


Category: ヨガ的かんがえ, 生活を変える方法

- 2016年3月6日

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