それ本当に必要?足るを知ろう

 

 

私は今はそんなに収入が高くない生活を送っている。
そんな時に夢想するのは、収入が増えたら買いたい物だ。

クロスバイク、温泉旅行、かっこいいランニングウェア。
家族で思う存分に外食。
新しい車。

しかし、よくよく考えるとこれらは
絶対に必要なものではない。

たぶん手に入れたとしては、わずかに嬉しいだけだろう。
とくにクロスバイクと新しい車などは空想上の幸福だ。
いま乗っている車を買った時の幸福感なんてもう
忘れてしまった。

もしも、リアルな幸福の成分があるとすれば、
温泉旅行と外食だろう。
それは「家族で同じ時間を過ごして楽しむ」
いう要素に還元される。
それだったら、紅葉した公園でレジャーシートを引いて
ピクニックすればいい。
それで充分楽しい。

本質的なものを大切にするのに大金はかからない。

理想をいえば禅寺のように、シンプル極まりない生活を送りたい。
お金が少ないと物が増えない。
これは貧乏のメリットだろう。
よく言う「足るを知る」これは、
本質的なものにとどまるということだ。

よくよく考えれば、もし私が無一文でも
賢明であるならば、たとえもなく貴重な宝をもっている
ことになる。
それは健全な心と体だ。
それこそが人生の本質、基本の中の基本だろう。
心と体がボロボロならば、どんな大金があっても
むしろ馬鹿げたことにしでかして逆効果だろう。
外の物をやたらと求めない、ということが
「足るを知る」に含まれる意だ。

足るを知る。
自分の本質の中にとどまる。
昔、「足るを知る」という言葉に戸惑った時期があった。
いまの自分に満足して、そこにあぐらをかくようなイメージが
わいてきた。
あらゆることに「足るを知る」では、
瞑想も努力もない。いまのままの自分でOK。
ただ生きているだけでOKになってしまう。

でも今はそれは違うということがわかる。
「外部の物や権力を追い求めるのを止めて、
内に価値ある自分を作り上げる」という
態度が「足るを知る」なんだと思う。

 

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Category: ヨガ的かんがえ

- 2015年11月8日

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