読書でバカになる、いやバカがいい?

 

哲学者のショーペンハウアーは
「読書というのは他人の考えをなぞるだけだから、
暇さえあれば本ばかり呼んでいると自分の頭で考えられない
アホになるよ」という意味のことを「読書について」で書いている。
読書が好きな私には耳が痛い。
とはいえショーペン先生自身もかなりの読書家で、
まったく読書を否定しているわけではない。
毒にも薬にもなるよ、ということだと私は思っている。

このあいだ「マツコの知らない世界」をみていたら、武井壮さんが
でてきて自身の「運動能力をあげるコツ」と「速く走るコツ」を
語っていた。

武井さんは「どうして毎回ホームランをうてないのか?」という問いを
立てて、試行錯誤して、その答えを見つけ出し練習法を生み出した経緯を
聞くと「なんてこの人は頭がいいんだ!」と感動した。
速く走るコツも、まったく合理的でしかも今まで聞いたことのない
新しさがあった。
あらためて武井壮さん凄い。
いつもタンクトップ姿で見た目は賢そうに見えない変人だけど、
本当に賢い人だ。

見ていて思ったけど、大事なのは
適切な質問を立てる能力だ。
疑問する力が思考力を育てる。

まったく新しい物が生まれるとき、
まずはじめに「問い」から生まれる。
これを偉人に当てはめてみてみる。

ブッダは生老病死で苦しみ人々をみてショックをうけ、
「なにかしらの善をもとめて」出家した。
まず「善とはなんだろう?」という問いがあった。
そして、2人の師について学んだけどその問いは埋まらず、
苦行をし断念して、中道を発見して最後に「善なるもの」を
発見して、問いは永遠に満たされた。

ブッダは普通の人が当たり前の光景だと見過ごす
「生きること」「老いること」「病むこと」「死ぬこと」の苦しみに
疑問をいだき、その苦しみを滅する道を模索するという
大事業をなしとげた。

まずはじめに「疑問」「問い」がある。
これが思考すること、実践することをうながす。

書いていて思ったんだけど、
「人生の苦への対処法」は
現代の我々はブッダほどの天才が苦心して
発見したことを方法を学ぶことができる。
これはショーペン先生の「他人の考え方をなぞる」だけの
行為だけど、そこから入ってそれを思考して深めて、
自分の血肉にし、方法である「瞑想」をおこなうという
のが合理的な道だ。
「巨人の肩にのる」だ。

我々が考えるべきは、俗世間でいかに
生きるべきか、みたいなことだろう。
しかし、まあ俗世間のことなんてわりと適当で
いいや、と悟り志向になると
ガチで考えることがほぼ無くなる。
武井さんが「ホームランになんてうてなくてもいいや」と
思ったらその先もないだろう。
思考する手間をはぶくライフハック。

チベットにも昔発明家がいて、飛行機の原型の
ようなものを作ったそうだけど、
「ここまでのものは人に必要ない」と破壊してしまった
そうだ。
利便性を求める進歩をやめて、悟り志向になった文化もある。
まさに「足るを知る」だ。

人生をシンプルにして、重要なことに注視するには、
世間に「足るを知る」がいいという結論になる。
賢者は世間からみたバカに見えるという言葉があるけれど、
それはそういうことかもしれない。

ブッダはいった。
「1つは利得への道であり、他の1つは安らぎに至る道である」
利得への道と安らぎへの道は、まったく交じり合うことのない
別の道なんだろう。

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Category: 生活を変える方法, 読書

- 2015年11月29日

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