人生マスター

人生が「どうなったら理想的なのか」と考える。
罪悪感と共に「こうあるべきだ」とうんざりするプランを
思いついたら、それは他者の人生をいきている可能性がある。
他人の理想や押しつけられた義務を果たす人生。
それが心を暗くする。

人生はゲームだ。
なにをしたらクリアなのか、なにをしたらゲームオーバーなのか、
それを自分で決めるゲームだ。

学校教育では、これの逆をして、
「いかに社会的なルールに従うか」を教育する。
子供は興味のない話を延々に聞かされるはめになる。
じっと座って、いい成績をとる。
それが「学校」のルールだ。
「いい子」のルールだ。

社会人になると、義務教育や他人が決めた時間割はなどの強制的なルールは消える。
けど、その頃にはすっかり「教育されて」、指示を待つ人間になっている。
指示を探し、テレビをみたり、まわりをみたりして、
「社会」のルールを見つける。
それに応じて、自分に得点をつける。

「大人」のルールだ。
「就職して」
「結婚して」
「子供をつくって」
「マイホームをもっている」
などなど、、、

満たさないといけない基準は高く、
たとえそれが全部できたとしても、それを維持するのに
四苦八苦する。

しかも、このルールは時代と共に変化するものだ。
いくらでもコロコロと変わる。
私達は群れで生きる動物だから「他者の期待」はとても
強い力を持っている。
時代、時代で強制されるルールは違う。

それに合わせて四苦八苦しない人生もある。
自分で人生ゲームのルールをつくる人生だ。
自分のルールがはっきりしていると、
世間の「平均的人生のルール」に抵抗できる。
盲目に従う人生から抜け出せる。

ラクビーをしている人に「ボールをもって走るな!」と
サッカーの審判が言ったとしても、ラガーマンは鼻で笑うだろう。
ルールが違うのだ。自分の人生のマスターになる。
それは自分のルールにしたがって生きるということだ。

人生のルールは「自分が何を重要にしているのか?」から
導き出される。
結局のところ、他人の期待も自分の満足もすべて満たして生きることなんて
できない。
「どんな人生が理想?」
思い浮かべて楽しくなる「こうなりたい」は、
あなたが重視しているルールに従ったものだ。

私の人生の理想は、
「余暇がたくさんある人生」だ。
本を読んだり、考えたり、瞑想したりする時間がたっぷりある人生。
家族と一緒にすごす時間をたくさんとれる人生だ。

お金持ちじゃなくても、
権力者になっていなくても、
余暇がたくさんあって生きられるなら私の人生ゲームは成功だ。
逆にお金持ちでみんながひれ伏す王様でも、
忙しくて本も読めないのなら、私の人生ゲームは失敗。
でも、世間的には大成功しているように見える。
私が一番うらやましい人は、たっぷり余暇のある生活をしている人だ。
あなたはどうだろうか?

 
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Category: ヨガ的かんがえ, 生活を変える方法

- 2015年3月10日

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