ディデジュリドゥはじめました

ディデジュリドゥというアボリジニの楽器がある。
ユーカリの木のシロアリが食べた空洞に息を吹き込んで響かせる
原始的な楽器で、アボリジニの方々は精霊との交信や儀式に使用して
いた神聖なもの。
吹くと瞑想にいいのかな、なんて漠然と考え、
なんとなくやりたいなぁと思って忘れていた。

かなり前にディデジュリドゥのイベントがあって、人見知りの私は
どうしよう勇気を振り絞って参加しようかしら、と思っていたけれど、
結局、日程が合わなくて参加せずじまい。

縁がなかった。

それからほぼ忘れて生きていたら、嫁の友達がディデジュリドゥを
習っているという話で、とてもいい先生がいる、しかも家から
車で15分くらいの場所でやっているとのこと。
しかも、先生との繋ぎはその嫁友達のAちゃんがしてくれるとのことで、
人見知り&引っ込み思案でも、「行きます」とがんばった。

お寺の一角借りて、教えているK先生。

初めて聞くディデジュリドゥは、母親の体内で聞いていたような、
神の振動であるオームのマントラのような、不思議な響きで、
「これ、習いたい」と素直に思う。

K先生は、私の感じるところ、音楽としてもディデジュリドゥというか、
人に聞かせる演奏テクニックなどは重視せずに、自分の心のために吹くという
スピリチュアル的なディデジュリドゥを教えている、という感じがした。

私が求めるところと一致している。
ここで、音程がどうのとか、リズムのとり方がどうのとか、説明されたら、
音楽教室で、ちょっと求めていたものと違うなぁ、と感じたところだけど、
すっかり気に入った私は、早々に習うことを決めた。

K先生は、体験クラスの私に
これを吹いてみるといい、と漆塗りの朱色のディデジュリドゥを
渡してくれた。
はじめて手にするディデジュリドゥ。
長さは130センチほどだけど、その重さにびっくりした。
私は過去、大工の仕事を手伝ったことがあって、
さまざまな木材を手にしたことがある。
このサイズでこの重さ、尋常ではない木材である。
しっかり両手でもたないといけない。
よほど硬い木で、死ぬほど密度が高くないと
中が空洞でこの重さはありえない。

まさに本物のディデジュリドゥ。
漆塗りがしてあり、亀のシンボルがシンプルに装飾されている。
これがレンタルのディデジュリドゥなの?という
重厚感である。どういう教室なんだ、ここは。

初めて吹くディデジュリドゥ。
私は見よう見まねで吹くふりをしてみた。

先生も周りの生徒さんもみんな「吹けている」とびっくりしていた。
最初から吹ける人はあんまりいない!とのことだったけれど、
けれど、よくよくあとから検証すると、この時は吹けていなかった。
ただ、自分の中から倍音のような音を絞り出して、
ディデジュリドゥを吹けているフリをしていただけだった。
読経やマントラ、プラナーヤマなどを組み合わせたディデジュリドゥもどきだった。

ディデジュリドゥがわからない、でもトライし続ける。
それでも、私は息を吐き続け、倍音を出そうと試み、
そうしているうちに、瞑想状態に入っていった。

K先生の話は、たぶんスピリチュアルの素養がなければ、引くくらい怪しい話が多い。
ディデジュリドゥを吹いていたら、真っ白いブラックホールに入ったとか、
さまざまなスピリチュアル的な話をしているが、
一生懸命ディデジュリドゥに息を吹き込んでいる私はそれどころではない。

途中、先生や生徒さんの横に聴診器がおいてあるのに気づいた。
一体、何に使うのだろうと思っていたら、K先生が聴診器をつけて
先生の頭部に当てるように指示。

その状態でディデジュリドゥを先生が吹くと、
聴診器から、クジラの鳴き声が聞こえた
たとえではなく、
率直に、
「頭のなかにクジラがいる、、、、!」
と驚愕した。
音だけ聞くと、先生の頭部が海になり、その中に
クジラがいて歌っているように聞こえる。
ディデジュリドゥの響きが先生の頭部を震わせる音は、
誇張なしにそのように聞こえた。

息を吐き続ける循環呼吸とか、これはマスターしたいなぁと
思えることがたくさんあったので、
ディデジュリドゥが欲しくなった。

K先生はディデジュリドゥは通販などで買わないほうがいいと
言っていた、結局通販で買ったものを持ってきてもらっても
響きがあまり良くないものが多くて、買い直す羽目になるとのこと。

新月か満月の日に、私のディデジュリドゥを授けてくださいとお願いすると、
自分のディデジュリドゥが来る、とのこと。

そうして、ディデジュリドゥが来るのを待っている人がたくさんいるらしい。

実際、Aちゃんの友達もなかなかディデジュリドゥが手に入らなくて
苦労しているそうだ。

話がぜんぜん繋がらないが、
よほど見込まれたのか、なにか感じるところがあったのか、
私はこの日にディデジュリドゥを手にいれることができた。

私が最初に渡された漆塗りされた朱色のディデジュリドゥは、
レンタル用のやつではなく、この日、はじめて到着した
誰も吹いたことのない新品で、
K先生から、お金はいいから持って帰って吹いて練習してみるといいと渡された。
こんなに厚遇してもらう理由が見当たらない。

あとから会場に迎えにきた嫁がディデジュリドゥをもっている
私をみてびっくりしている。
嫁の友達もいまでにディデジュリドゥがこなくて右往左往しているのに、
なぜかアホみたいな顔をした私が当時にディデジュリドゥを手にいれる
流れになっていることに驚いている。

スピリチュアルな先生は、たぶんスピリチュアルな存在に、
こいつにディデジュリドゥを譲りなさい、ただちにと指示を受けたんだろうか。

先生、買わせていただけますか?おいくらですか?と聞くと、
想像よりも安い値段だった。
原価、といってもいい値段なのではないか。
漆塗りもされている、ありえないくらい重い木で、
シロアリが中を空洞にした本物のディデジュリドゥで、
この値段という値段で、買わせてもらった。

普段は理論派、理詰めの私も、
いよいよスピリチュアル的にしか説明できない。
ディデジュリドゥは私に必要としているものなのだ。

信じていることがある。
私を支援している偉大な存在は、かなりの豪腕で、
ありえないことを次々とおこす。
ゴリゴリと無理を通す。
幸運につぐ幸運、
過去にもこういうことが色々あった。

まったくなんの努力もせずに、さまざまなものが私に来た。
「うまくいくことは最初から驚くほどうまくいく」という
のが私の人生経験からの人生訓だ。

理由はわかない、けれどディデジュリドゥが私の手にある。

その日からディデジュリドゥを吹きまくっている。
話が長くなった、、、、その効果はまた次回に書くことにしよう。




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- 2022年6月2日

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