暴走車に乗って人生をめちゃくちゃにすること

日々、私たちは強化している。何を?それは習慣をである。1日のほとんどすべて、私たちは習慣化された思考や行動をおこなっている。

ほとんど自動運転だと言ってもいい。歳をとると時間がたつのが速く感じるのは、習慣で自動的に生きているからだ。

良くも悪くも習慣は恐ろしいパワーを持っている。

習慣は意識されない。「あたりまえ」「なにげなく」第2の天性のようにおこなわれる。習慣は使えば使うほど強化され、変化するのが難しくなる。

ギャンブル、アルコールなどの中毒者は、やればやるほどその中毒が習慣化されて破滅への道から抜け出るのが難しくなる。

アクセル全開、ブレーキの壊れた暴走車のようなもので、本人が意思をふりしぼり、涙ながらに「もうやめる!」と言っても、ほとんどの場合、暴走した車(習慣)はとまらない。

たった一杯のビールから、何気なくはじめたパチンコから、小さなことから繰り返されて繰り返されて、悪習慣は本人の意思のブレーキが効かない暴走車となって、人生はめちゃくちゃに荒廃していく。

「おれの人生だから自由にされてくれ」と悪習慣の人は言うだろう。だけれど、その人の自由とか、悪習慣の暴走車に引きずり回されて人生を苦しみことで、本当は自由など無いのだ。悪習慣に支配された人は選択の自由のない習慣の奴隷だ。
恐ろしい。

だから、小さい悪いこともしないようにする。その小さい悪い行動はさらなる悪い行動に繋がる。悪い種を蒔けば芽がでて、成長し禍々しい花をつけて、さらに多くの悪の種子をばらまくことになる。

逆に良い習慣ほど心強いものはない。運動、学習、健康的な食事、礼儀作法、手洗い、掃除、などなど、自分と周囲に良い影響を与える習慣がたくさんあると、人生は自動的に向上していく。人生はどんどん楽になっていく。

たとえば私は、酒を飲まない、カフェインをとらない、加工食品を食べない、ほとんどヴィーガン(完全菜食主義者)で、瞑想と運動の習慣を持つ心身の健康マニアで、ときどき人から「そんなに我慢して生きると逆に良くないんじゃない?」と言われたりする。だけど、私としては我慢している感覚はほとんど無い。もはやこれが自然で、習慣化しているから、あたりまえの毎日を生きているとしか思っていない。これが良い習慣の力だ。

悪習慣と良い習慣は、同じ法則で強化される。それは「繰り返すこと」だ。

そして、悪習慣と良い習慣は両立しない。ぶつかりあって戦っている無数の生き物のようだ。どちらかが優勢かで人生の方向が変わる。そして、方向が違えば他人の進言など意味をもたない。

運動の習慣もなく座りっぱなしでテレビをみる悪習慣を持ち、美食を求めて大金をはたく人に健康的なライフスタイルを説いても、鼻であしらわれる。数々の悪習慣が手を組み、その人を占拠しているからだ。

逆にもう充分健康な人の方が、さらなる情報を求めて学んでいる。本当に必要な人に言葉は届かず、とくに必要のない人がさらに改善されていく。

もし、私が悪い習慣の数々に支配されている人だとしたら、どうしてそれらを討伐するだろう。これしかない、という方法は「小さな良い習慣を1つ作っていく」だろう。

悪習慣たちが見逃すような、小さな良い習慣を片隅にそっと植えていく。それは朝起きたら、水を一杯飲むことでもいいだろうし、野菜をちょっと食べるでもいいだろう。その小さな習慣を強化して、だんだんと自分の中の悪と善の割合を変えていくしかない。

自分語りばかりで申し訳ないが、私も20歳の頃は「一日5本は缶コーヒーを飲み、夜は毎晩缶チューハイで晩酌し、タバコ1日一箱で、食事はほぼ外食、らーめんか牛丼か唐揚げ弁当」という「だめだこりゃ」の悪習慣の群れに捕まっていた。

現在41歳。それらの悪習慣を時間をかけて一つ一つなくしていって今にいたる。

簡潔に説明するブッダのことばがある。
「悪いことを行わず、善いことを行い、自らの心を清めること」
これだ。

習慣も同じで、悪い習慣は繰り返さなかったら、繰り返しのエネルギーが得られずに枯れていく。善いことを積極的にしていくと、どんどん善い習慣は強くなる。そうなると、おのずから人生は工場していく。私もまだまだ「何してんだオレ」みたいな悪習慣をもっている。死ぬまで改善なのだ。


Category: 生活を変える方法

- 2018年8月22日

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