心の回転寿司

突然、昔の記憶が蘇る。
「おれはなんてことを、、、」
後悔する。
なんて思いやりのない言葉をかけてしまったんだろう。
なんであんなことをしてしまったんだろう。
思わず「すいません」と口にだして過去に出会った人びとに謝る。
謝っても声は届かない。
もう十数年前のことだったりするからだ。

視野を変えてみる。
以前の自分とか違った自分になって、すこし上から眺めることができた証拠だ。
だから、過去の至らないことばかりが目につく。
昔に「これで大丈夫っしょ」となぁなぁにしていた
行動が人にあたえた悲しみをつきつけられる。
想像力が及ばなかったことが見えるようになった。
変化の苦しみ。

あのとき喧嘩した人の中では、私は今でも「非常識な奴」なんだろうか。
私は変わった。
そういえば中学時代、暴力をふるっていた同級生に会ったら、とても腰が低く
低姿勢になっていた。
彼も変わった。
私には「とてもじゃないけど付き合えない」という知り合いもいる。
あの人も変わるんだろうか。

人間、どこらへんまでが自己責任なんだろう。
遺伝子、育った環境、出会った人、教育。
これらは複雑に入り混じりすぎていて、本当のところは
わからないままだろう。
だけど「人は変化していく」ということはハッキリしている。

良く変化していくのか、悪く変化していくのか。

心の中にはいろいろな選択肢が流れてくる。
悪口や無慈悲、思いやりや希望。
心の中にはいろいろなものが現れては消えていく。
私は回転寿司の客のように、それを眺めている。
その店は、どんな寿司(感情、考え)が流れてくるのか
コントロールできないが、どれをとるのかは選ぶことができる。

悪く変化する人は、
悪い寿司でも全部食べる。
悪意、傲慢、無慈悲。
ぜんぶ自分だと思って食べる。
店はそれが売れ筋だと思い、さらに
回ってくる寿司(心)は汚濁していく。

良く変化する人は、
手にとる皿を選ぶ。
ネガティブな皿には手を伸ばさずに、
寿司が干からびるままにしておく。
店はそれが売れないことに気づき、
ださなくなる。
良い寿司を選ぶと、店はいい寿司のラインナップを増やす。

遺伝子、育った環境、出会った人、教育。
人それぞれ、どんな寿司(感情、考え)が回っているのかは違う。
だけど、いまのラインナップの中で、最善の選択はできる。
逆にいえば、人はそれしかできない。

ced737c6


Category: ヨガ的かんがえ, 瞑想

- 2015年3月6日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *