現代ヨガとヨガ哲学はどう繋がっているのか?

スタジオなどで行われている現代ヨガをいくらやっても、
ヨーガスートラなどに代表されるヨガ哲学はわからない。
これは過去の私の実感でもあり、現在も実践しているヨギーの
人たちの率直な感想だろうと思う。

これは思うに不思議なことだ。
実践と哲学が結びついていないものは少ないからだ。

サッカーを練習しても、サッカーの戦略がさっぱりわからないなんて
ことは起こらない。
やっていく内に朧げに、サッカーの戦略がわかってくる。
座学で、様々な戦略を学べば「なるほど!なんとなくわかっていたけれど、
そういうことなんですね」とハッキリとサッカー戦略のことがわかる
ようになる。

筋トレでいうと、
なんの知識もなく重りを上げ下げし、なんとなく筋肉がついてきたなぁ、と
いう人に、栄養学やトレーニングの知識(哲学)を教えると
「私が求めていたのはこれです!」とやっている筋トレがガラリと変わり、
その人にとってトレーニング知識は、実践と結びついたかけがえのないパートナーに
なるだろう。

さまざまな実践者にとって、哲学は無味乾燥なものではなくて、
実践を支える貴重な知識なのだ。
それを知っているのと知らないのでは、天と地ほどの差がでるもの。
昔の剣術には秘伝書なんてものがあったそうだけど、
それほど哲学には、実践を変える力がある。

しかし、現代ヨガをする人にとって、ヨーガスートラなどの経典は、
いくら学んでも、暗記しても、どこまでも遠い存在で、
学んだからといって、日々の体操のようなヨガがガラリと変わるようには
ならない。
なんとなく、ヨガを真面目に練習するなら知っておかないと恥ずかしい
教養のようなもので、まあ別に知らないなら知らないでも全然差し障りのない
もの。
ぶっちゃけて言えば、ヨガ哲学とはそういうものだ。

「古代の哲学だから、現代人とリンクしないのか?」というと
そうでもない。

瞑想の世界で言えば、
ウ・ジョーティカ師は著書「自由への旅」で
修行時代、本を読みすぎる悪癖があり
師匠から本を読むのを禁止されて、もう哲学なんかはいいから
とにかく瞑想するようにと命ぜられた事があったそうだ。
数年して、深い瞑想体験をしたウ・ジョーティカ師は
ふたたび瞑想の経典を読み、そこに書かれていることが
まさに瞑想中に体験したことと同じだったので、
「これは本当のことだ!」と教えにより確信を持つことができたと
述べている。
仏教哲学も相当古いけれど、しっかりと現代の修行者の実践と結びついている。
真理には時代を超えた普遍性があるのだ。
仏教哲学は、瞑想の進むべき地図として欠かせない。

しかし、現代ヨガとヨガ哲学は乖離している。
私の結論としては、現代ヨガとヨガ哲学は繋がっていない。
現代ヨガをしても、ヤマ(戒)が守れるようにならないことが
それを証明している。
現代ヨガの有名な講師でも、愛人がいたり、セクハラで訴えられたり、
嘘をついたり、離婚したり、異常な性欲を持っていたりと、
さまざまなガッカリなエピソードを関係者から聞いている。
しかし、これはヨガ哲学がバックボーンにある、という前提で
有名講師たちを見ているからで、
カリスマになった健康愛好家たちが、
チヤホヤされた結果に起きた不祥事としたら、
そんなに珍しいことではないし、よくあることだ。
「深淵な哲学がある実践をしている人たちが!」というフィルターを
外せば、フィットネス業界の金持ちに愛人がいたり、
寄ってくる若い女の子に手をだしてしまうカリスマがいても、
ぜんぜん不思議ではない。

しかし、現代ヨガがヨガ哲学の実践体系で、
深く実践してきた指導者たちが、ヤマ(戒)をまったく守れていない
としたら、大問題だ。
でも、現代ヨガとヨガ哲学は別のものだから、私はビックリしないし、
非難もしない。
まあ、そういうこともあるだろう、と思うだけだ。
体操をして健康になる教の指導者が、ヤマ(戒)を守れなくても、
体操の実践には全然影響しない。
そもそも現代ヨガとヨガ哲学は繋がっていないのだから。

ヨーガスートラなどの経典を実践の指針とできるのは、
サマタ瞑想を主に修行している瞑想修行者たちだろう。
(私も唯一、ヨーガスートラの世界をちらっと垣間見たのは
瞑想リトリートの最中だった)

これは現代ヨガを非難しているわけではない。
現代ヨガはベジタリアンなどの生活スタイルや
ゆるやかな運動として、現代人の心身の健康に寄与している。
現代ヨガとヨガ哲学はリンクしていない、ということを理解して、
過度な期待を現代ヨガにしないことが肝心だ。

むしろ、現代ヨガをする人にとって必要なのは
フィットネスの知識だ。
解剖学、栄養学、さまざまなトレーニングの知識。

私がアシュタンガヨガをしている時に、
もしも体を強靭にさせる栄養学の知識があったら、
練習後にはプロティンを飲んでいただろう。
運動と栄養補給が釣り合っていなかったから、
つねに痩せ過ぎていた。

幸いにも解剖学の知識があったので、私の関節の可動域にとってムリな
難易度の高いポーズには手を出さなかったから、大きな怪我もなく
練習できた。

でも、現代ヨガとヨガ哲学の無関係性に気づけなかったので、
「意味深い何かがあるはず」と
人生の答えを探すように練習に没頭したり、
ほとんど実践とリンクしないヨガ哲学を一生懸命学んだり
しなかっただろうと思う。

しかし、現代ヨガを恨んだりはしていない。
「ヨガってなんだろう」という疑問から瞑想に出会えたキッカケを
作ってくれたし、
現代ヨガをして、体は健康になったからフィットネスの1つとしては、
ありだと思う。
ただ、今は時間効率が悪いと思うので、筋トレの要素はケトルベルで、
ストレッチの要素はストレッチで、瞑想は瞑想で、さまざまな要素を分解して、
それぞれの時間を密にして時短して実践しているし、子供たちには
あえてさせるつもりはないが、家で出来る運動としては、手軽でいいとは思う。

おすすめなのは、クロストレーナー的なやり方だ。
これは「ヨガを科学する」に掲載されていた考え方なんだけど、
ヨガを運動の一種とみなして、あるときはランニング、あるときは筋トレ、
あるときはヨガという風に、エクササイズのメニューの1つとして選択する
やり方だ。
体は同一の刺激では、慣れてしまって効果的な運動にならないという側面があるから
ヨガはいい刺激の1つになるだろう。

現代ヨガには深い精神的な意味は存在しない。
だから気楽に取り組めばいいし、
ヨガの講師も仏様ではなくて、ただの人だから
崇拝する必要もない。

もしも心の問題やヨガ哲学を深く追求したいなら、
仏教系の瞑想をおすすめする、という結論。

現代ヨガの起源が書かれた本。
肉体鍛錬としてのヨガと、古代からのヨガの違いがよくわかる。

ヨガ・ボディ: ポーズ練習の起源
マーク・シングルトン
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ヨガをさまざまな側面から調べた本。

ヨガを科学する―その効用と危険に迫る科学的アプローチ
ウィリアム・J. ブロード
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ヨーガスートラを学びたいならこの本。
著者はアシュタンガビンヤサヨガの実践者だけど、文中にあんまり
アシュタンガビンヤサヨガの言及はない。
アシュタンガビンヤサヨガとヨーガスートラはコインの表と裏という
けれど、私には理解できない。
アシュタンガビンヤサヨガをしていても、サマタ瞑想の成功の指針である
シッディ(超能力)は開発されないと思うのだけれども。
しかし、そういう疑問を抜きにしても名著。

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Category: アシュタンガヨガ, ポーズ練習の起源

- 2017年2月17日

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