具体的な目標をもたないメリット

 

 

 

世間では「具体的な目標を持ち、それを目指す」
ことがいいとされている気がする。
たしかに目標をめざして邁進するのは効率のいい
生き方だ。
でも、この生き方には問題点がある。

たとえば婚活をするとして、
「勤め先は東証一部上場企業で年収800万円以上。
年齢は35歳以下で、身長は180センチの
スポーツマンタイプの爽やかな男性と結婚する」
という「具体的な目標」を決めたとする。
そうすると、自動的にこの基準に当てはまらない人は
排除される。
それが目標を持つ効果でもある。
でも、「あっ、この人いい!」と感じた運命の人が
自分で勝手に決めた基準以下だった場合、
目的を厳守するあまり恋愛に発展しないこともある。
結果、多くのチャンスを逃すことになる。
そして、一番重要なのは「目標を果たしても幸福になるとは限らない」
ということだ。
人は思うほど自分のことをわかってはいない。
その時々の社会情勢に影響された欲望を叶えるために立てた目標は
いびつなものになりがちだ。

ちなみに、私の17歳の頃の夢は「空手の世界チャンピオン」だった。
今の私にならわかるのだけど、私は闘争には向いていない。
そんな私が何故そのような目標を持つに至ったかというと、
それは空手が好きな父親の影響、洗脳といってもいい。

もしも、私が目標にむかって地道に邁進できる性質をもっていたら、

いまだに洗脳された少年の思いつきのような目標に人生を支配されていた
だろう。
努力することは、いいけれどその向かう先が空虚であることがある。
それが誤って立てた目標のマイナス面だ。

目標もなく自然に始めたことのほうがいい。
私にとってそれは、いつの間にか始めていた「読書」

これに関しては目標をたてたことが一度もない。
「月に10冊は本を読もうと思います」という人の話を聞いても違和感しか
覚えない。
私にとって読書はせざる得ない生活習慣で、まったく意識しなくても
次から次と読むたい本を読んでいく。
つまり目標を立てること自体が不自然な行為でもある。

目標をたてると、頑なな生き方になり多くの選択肢を逃す。
そして、目標をたてないと出来ないようなものは不自然なものだ。

私はそのときの「あっ、これやりたい!知りたい!」という
直感に従って生きている。
ヨガもアシュタンガヨガから始めて、瞑想に出会って今に至る。
もしも、強い目標を持つ人間だったら、違和感を押し殺し
今でもアシュタンガヨガをしていただろう。
瞑想に出会うこともなかった。

荘子なんかを読むと
「目標を持たず無為に生きて、
やむおえなくやらざる得ないこと以外はしない生き方」
が最高だとされている。
昔は「そんなアホな生き方していたら、ロクな人生にならん」と
思ったけど、いろいろ学んだ今は「ありえるかも」と思う。

人生を振り返ってみて、大きく人生を変えたことは
「降りかかってきた」ことばかりだ。
ヨガを始めたのも、人生の危機にやむを得ず対応して、
そこから回復するためのものだった。
結婚も、思いがけない出会いから自然に生まれた結果だ。
目標を立てるのが苦手な人間もこうして生きていける。
目の前のことを大切にして注力していたら自然と道は
開けてくるもんだと思う。

中国の古典のなかでダントツに読んでいて面白いので荘子。
荘子という人はかなりユーモアのセンスのある人だ。

 

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Category: 未分類, 生活を変える方法, 読書

- 2015年11月11日

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