楽がしたいから鍛える

楽がしたい、というのはすべての人に共通の願望だろう。
だから、人は重荷を避けたり、ダラダラすごしたりする。
そうすると、一旦は楽ができるから、これが正解だと思ってしまう。
でもこれには、後からさらに苦しくなるという逆転の法則がある。
心も体も、使わないと衰えるからだ。

たとえると、箸よりも重たい物は持たないと決めた人は、
どんどんと箸以上の重量を持ち上げる筋力を失い、しまいには
茶碗が重たく感じるようになるだろう。

本当に楽がしたいなら、能力を高めること。
これしかない。

24キロのケトルベルを軽々と扱える人にとって、茶碗の重さなど
無いに等しい。

この間、一つのちょっとした仕事が終わった次の日に、
もうひとつ上の仕事をしてみないか?と先輩に言われた。
私の目標は自分の成長だから引き受けた。
これを乗り越えると、また能力が上がって、しばらく楽ができる。

この「能力を成長させる道」を歩くと、次から次と
さらなる重荷がやってくるが、同時に自分もどんどん成長できる。
筋肉はムキムキにはならないが、心の筋肉はムキムキになる。

一方で、「重荷を避ける道」を選ぶと、能力がどんどん
落ちていくので、どんどん仕事が減っていく。
行き着く先は、なにもできない、任せることができない
無能の人だ。

これは一見、なにもかも手放した仙人的ライフに見えるが、
ブッダなどのシッダが、世俗を断念して、
修行に明け暮れて、人間離れした集中力とサティ、
智慧と慈悲を持っているのに比べて、
無能の人は、自分の着ている服の重荷に押しつぶされて
そこから身動きできず、絶望しているだけの人だ。

ちなみに、
世の中には、たしかに自分の傾向に合わないものがある。
私の場合は内向的な人間なので、社交的な能力というのは
はなから断念している。
でも、人間のスキルは社交だけではない。
その他の部分に力を注げばいい。

世間は厳しいというけれど、涼しい顔で渡世している人も
いる。そういう人は、強い心と優れたスキルの持ち主だ。

















 


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- 2020年1月25日

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