死んで生きて死んで生きて

アメリカの長期の株価の推移というものを
見たことがあるだろうか?
昔、投資の勉強をしているときにみたチャートは
長期的にみると右肩上がりに上がり続けるものだった。

しかし、その右肩上がりに見えるチャートを
1年スパンでみてみると、
世界恐慌のような株の大暴落のあった年は、
この世の終わりのように思えるチャートになる。

長い目で見たとき、大きな失敗も
あとで成長の種になっていたことを発見して、
それは必要なものだったとわかるけれど、
その当時は絶望感しかなかった。
人生塞翁が馬。

人間の成長も、上がり下がりしながら推移していく。
順調に一直線に成長していく、なんてことはない。
子供をみていても、いろいろな失敗や試行錯誤をして
成長していく。

ときとして、生活の疲労や煩悩に押し流されて、
瞑想から離れてしまう時もある。
失敗してガッカリして、それに押しつぶされそうな日もある。
でも、それは成長の種だ。
物事をはじめたとき、何回か失敗すると
「私にはもうこれは無理だ」と諦めてしまうことがある。
でも、それは成長のステップなのだ。
そこから新たな対策や、自分の弱さや強さを知ることが
できる。

歩みを止めない。
それさえしておけば死ぬときに人生を後悔しないだろう。

人生には「諦める」ことは必要だ。
でもそれは「諦めて、歩みをとめて座りこむ」ことではない。
諦めて、新たに歩きだすことなんだと思う。
「これこれこうであるべき」という信念や
「やめたい習慣」持っていた古い私を諦めて捨てて、
「新たな私」に更新していく。
それが成長だ。
古い私が死ぬときには痛みがともなう。
でも、それは再生には必要なステップなのだ。
死んで生きて、死んで生きてだ。

冬に枯れて種を残して、また春になると生えてくる
植物は、その繰り返しでその土地に適応していく。

th_sunset-815270_960_720


Category: 生活を変える方法

- 2016年4月7日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *