マフェトン理論的鍛錬の成果がすこし

 

一日5キロほど、心拍数を(180ー年齢の)141以上にあげない
ようにゆったりと走っている。
マフェトン理論的鍛錬だ。

それを20日継続している。
無理をしないので翌日に疲れはほとんど残らないし、
いいリフレッシュになっている。

昨日は5キロではなく、
10キロほどの遠出に行ってきた。

ときおりこのロングコースを走るけど、
以前走ったときと比べ物にならないくらい楽に走れる。
走る能力が向上している!

上り坂でも心拍数は141を超えないし、
すこし早めに走っても散歩をしているくらいの
強度にしか感じない。
たかだか10キロという距離だけど、その体感が
変わったというのは嬉しい。

マフェトン理論的な楽な鍛錬はふと
「こんなんで鍛えられているのかな?」と思うときも
あるけど、時折テストしてみるとその効果が実感できて
いいかも。

人は自分の変化に気づきにくい。
以前の自分はもういないから、記憶を頼りに比較する
けど、ランニングのようにほぼ同じ距離というように
シチュエーションを作り出せることばかりじゃない。

本当は刻々と変化しているんだけど「いつもの私」としか
感じられない。

考えてみれば
「いつもの私」なんて厳密に言えば存在しない。
体は日々成長したり老いたりしている。
心も、人は無意識化で影響をうけて
ころころと変化する。
仏教でいう「無我」だ。

常に変化している。
でも人は、ある程度大きな変化にならないと気づけない。
片足立ちで靴下が履けなくなって、足が弱っていることに気づく。
「以前は片足立ちで靴下が履けた私」の記憶との誤差で、
自分がはじめて変わったのに気づく。

よくもわるくも変化する。
不変の自分なんていない。

ところで、
人は変わらずにいることは出来るのだろうか?

体には老化という絶対の重力が働いているので、
運動をしなかったら、体は同じ状態を保てない。
変わらないということは、静止している、といい変えることも
できる。
体は静止しない。
良くなるか、悪くなるか。
いかに努力しても、最後は老いに打倒される。
私のマフェトン理論的ランニングは、日々のクオリティ・オブ・ライフを
向上させ、体をメンテナンスする力はあるけれど、死ぬことは確実だ。

心は変わらずにいられるか?
これはちょっと実験すればわかるけど無理だ。
呼吸に意識をむける瞑想をするけれど、心はすぐにいろいろな
考えや感覚にそれてしまう。
自分の中にある古びた概念に執着することはできるけれど、
どんな人も一日中、同じことを考えつづけることはできない。
中国の捕虜になったアメリカ兵が、帰国後筋金入りの
共産主義者に洗脳されていたなんて話もある。
ここまで強制的じゃなくても、外部の影響をうけて
心は変化する。
よくもわるくも変化する。

となれば、良く変化する習慣をつくるのが
いい人生を歩む秘訣になるだろう。

一人で出来ることといえば、
運動の習慣。
瞑想の習慣。
学習の習慣。

社会的には、
友好的な人間関係。

いろいろあるけれど、
習慣化された良いことって強いよね。

脳が教える! 1つの習慣

脳が教える! 1つの習慣

posted with amazlet at 15.11.05
ロバート・マウラー
講談社
売り上げランキング: 34,636

習慣化の本。
「毎日すこし」のヒントが満載です。

ナチュラル・ボーン・ヒーローズ―人類が失った
クリストファー・マクドゥーガル
NHK出版
売り上げランキング: 9,027

Category: 体を変える

- 2015年11月6日

コメントを残す

Your email address will not be published / Required fields are marked *