極意書の言葉

孫禄堂という武術の達人がいて、
その達人が武術の極意が時と共に失われていく
のを見るにしのびなく、筆をとったのが、
「拳意述真」だ。

昔、ちらっと読んだことがあって、
でも太極拳、形意拳、八卦掌という内家拳の極意書なので、
いまいちピンとこなかったけど、
一節だけとても心に響く章があった。
これだ。

もし力だけ求めようとするならば力によって拘束される。
もし気だけを求めるならば気のために拘束される。
もし沈重だけを求めるならば沈重のために身は縛られ墜落する。
もし軽浮だけを求めるならば神気は軽浮のために散じる。

ゆえにあまりにこだわって求めてはならない。
求めて得るところがあったとしても、それも
また有にして無、実にして虚のごときものである。
亡失したかと思えばたちまち補助される。
無理に勤めることなく中り、思わずして得る。
ただ従容として道に中るのみである。

力、気、重さ、軽さ、それを求めようとすると
それに縛られるよ、という話。
これは人生にも繋がる。

金、名声、遊び、なににこだわっても拘束されて
自由自在の境地には到達しない。

この言葉は、さらには瞑想にも繋がる。
たとえば瞑想をしていると幸福感(ピィーティ)が出たり、光が見えたりする
そうだ。(私はどちらも経験がない、、)
でも、それにこだわって求めると、そのこだわりに拘束されてしまう。
何も求めずに、ただ実践して実践するだけ。
「ただ従容として(ゆったりと落ち着いて)道にあたるのみである」
なんていい言葉なんざましょう。

ちなみに孫禄堂先生。
リアル仙人ですね。
こんな老人にわたしもなりたい。

 

sun000

 

ちなみに本は絶版になって、ちょっとプレミア価格になってます。
拳法家の人は読んだほうがいいと思うけど、それ以外の人には
おすすめしづらいマニアック度。

 

 

きみはもう「拳意述真」を読んだか―内家拳の達人・孫禄堂が遺した究極の極意

Category: 瞑想, 読書

- 2016年4月19日

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