千の技を知る人より優れる

中国武術。
千の技を知る人がいる。
ありとあらゆる技を知っている。
普通に考えれば、この人に勝つには千以上の技を知らなければ
ならないだろう。
多ければ多いほどいい。

しかし、格言ではこういう。
「千の技を知る者を恐れず、
1つの技に習熟した者を恐れよ」

千の技を知っている者なんか恐れるに足らない。
それよりも1つの技を練りに練った者を恐れろ。

生半可な知識として千も二千も技を知っている人は、
ただの技のコレクターで、思考能力が吹っ飛んでしまう実戦では
どれもこれも中途半端すぎて技にならない。
しかし、練りに練った技を1つ持つ者は、
そういう状況でこそ恐ろしい力を発揮する。
記憶が飛んでいるけれど、体に刻みこんで体得したたった1つの技が
その人を救う。

ヨガや瞑想の世界にこの格言を移してみる。

100年前、情報がこれほど流通していなかった時代、
知識として得られる行法は現代ほど多彩ではなかった。
私の曾祖母は、熱心なマントラヨーガの実践者で、
ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えていて、祖父曰く
「仏さんのような人」だったそうだ。
一方、現代は、あらゆる伝統の行法が本になりネットに流れている。
仏さまのような人だと喩えられた曾祖母の知識が1だとしたら、
私は100倍もいろんなことを知っている。
だけど、人間の内容というか実践者としての実力は、
まったく曾祖母に叶う気がしない。
まさに千の技を知る者を恐れず、
1つの技に習熟した者を恐れよ」だ。

たくさんの行法を知っている、ということは力ではない。
エネルギーを分散してしまうだけだ。
もちろん、幅広く知るメリットもある。
怪しいグルに洗脳されにくくなるし、
選択肢が増える。
だけど、どれか選んで時間をかけなければならない。
曾祖母の「南無阿弥陀仏」に匹敵するもの。
私の場合はいままで色々やってきたけど、
それは「呼吸の瞑想」だ。
そう最近決めた。

あなたにとって、それはなんだろうか?

現代では、自分の意志で他のすべてを断念することが必要とされる。
でないと、次から次と現れる情報を次々と試すだけで人生が終わってしまう。
それが出来るならば、現代はとても恵まれた時代だ。
出来ないなら、砂漠の蜃気楼を追い求めて歩きまわるだけになる。

 

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Category: エッセンシャルヨガ, ヨガ的かんがえ, 瞑想

- 2015年6月9日

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